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吉田朝啓が公衆衛生の最前線「衛生研究所」を舞台に描く、
知られざる戦後・沖縄のリアルな裏面史!


ベトナム戦争の発進基地となった嘉手納から今日もまたB52爆撃機が爆音とともに飛び立つ。1968年頃。
 吉田朝啓

琉球衛研物語

 Ryukyu Eiken Monogatari 1946~1993

集団就職で本土へ向かう船の見送り風景。今日の飛行場にはない、テープでの別れ。1968年頃。

赤痢、日本脳炎、基地公害、米軍毒ガス移送から、ハブ、性病、アスベスト問題まで、ドクトル吉田朝啓が第五代所長として勤務した「琉球衛生研究所」は、米軍統治を背景に、戦後の沖縄の混乱と復興の中で、ありとあらゆる問題が発生した。ここには、歴史家や、マスコミが取り上げていない、沖縄戦後史に埋もれた特異な陰の部分が横たわっていて、史料的価値が高いばかりか、現代の日米地位協定に基づく、様々な問題と通底していて、見逃せない。
(編集人、サイト制作&運営 樋口謙一)


琉球衛研物語 §72.
郷土劇“ゆいまある”


うかつにも引き受けてしまった郷土劇のシナリオを、
三日後に書き上げて、恐る恐る中村課長と大城課長に見せた。

軽く読み通したご両人。
「所長、これはいけますよ。これでいきましょう。しかしまあ、
たった三日でようこんなに面白い脚本が書けましたね」といってくれた。

「しかし、この筋書きだけでは芝居は始まらんだろう。
誰かが本物の脚本にしてくれて、
配役やら舞台稽古やら専門的に仕上げてくれなけりゃ」。

とにかく、後はお二人にお任せ、と、しばらく忘れていたが。

数日して、二人の課長がにこやかにやってきた。
沖縄演劇界の名演出家幸喜良秀先生に頼んだら、
郷土劇に仕立ててあげようと快く引き受けてくれたということだ。

幸喜良秀、1961年演劇集団「創造」を結成。
1987年「沖縄芝居実験劇場」設立。
県内外、国外公演活動を展開している沖縄演劇界のリーダーである。

演出・幸喜吉秀氏

「おやおや、先生たち、それはちょいと大げさ過ぎないか。
保健所の素人グループがちょいとやる芝居に
そんな大物を引っ張り出したりして」
「いえ、所長、この芝居には本庁の長寿対策室も本腰入れて
推進するそうですよ。予算も国庫補助からたっぷり付けてくれるそうです」。

とんとん拍子に事は運んで、脚本が大幅に加筆修正され、
配役も決まり、連日の稽古が続いた。

 

  
舞台の模様(公演収録ビデオより)

配役が素晴らしかった。
北島すみ子、八木政雄を主役に、北村三郎、玉城千枝子(舞踊家)、
平良進、平良とみ、兼島麗子、伊良波晃、兼城道子、山城興松、
錚錚たる郷土芸能界の役者と中堅若手が加わり、
美術・音楽・照明などの裏方も揃って、
生き生きと心を込めて稽古に励んだものだから、
短時日のうちに仕上がって、
いよいよ「郷土劇“ゆいまーる”」公演の日となった。

那覇市のリュボウ市民劇場での初公演は大好評だった。

次いで、中部・北部・宮古・八重山での公演も回を追うごとに評判となり、
立ち見までいっぱいの大盛況となった。
笑いと涙の郷土劇として両新聞でも高い評価を受けた。

劇場の中央に座って観劇しているチョウケイも、
つい涙をそそられる場面が多く、
天を仰いで涙をこらえる観客があちこちに見られた。

涙の後にはコロコロ・クスクス笑う場面が続き、指笛も加わり、
また涙をそっと拭く場面となり、
満場の客は一時間半の間、涙と笑いの感動に包まれた。

芝居のような寝たきり老人を身内に抱える人たちは、
名優たちの演技に思わすシュンとなって考え込んだに違いない。

共感の涙でハンカチがグショグショになるのを気にもせず、見入った。
寝たきり老人を身内に持たない人たちも、
やがて来るおのれ自身の老後を考えて、これまたシュンとなって、
そうなった場合の自分と家族のことを考えたに違いない。

劇場を出るチョウケイの胸中に、
「この郷土劇“ゆいまーる”を一輪の花として胸に挿し、
40年にわたる公務員生活を閉じることにしょう」という
けじめのような想いが湧いてきた。

(☆公演の詳しい内容については、こちらのページ)


琉球政府契約留学生として、
郷土帰還後の義務は十分果たしたつもりである。

保健所~衛研~保健所とリレーされた公衆衛生の一本道は、
単調なようで起伏に富んでいて決して楽ではなかったが、
絶えず県民の懐の中で過ごしているという温かみがあった。

いろいろと時代に応じて名前は変わっても、
六つの県立保健所(現福祉保健所)は健在だし、
衛研もさらに強化されて大里の丘の上にある。

* 沖縄中央衛生試験所(前史時代)~琉球衛生研究所~沖縄公害衛生研究所~(日本復帰)~
~沖縄県公害衛生研究所~沖縄県衛生環境研究所と発展してきた衛研は、
現在職員50名を擁する県内最高の公衆衛生研究機関として活躍している。
東西約1000キロメートル、南北約400キロメートルの広大な県域に抱える
大小160の有人・無人島と120万の県民をガードする日本最南端の科学機関は、
恐らく永久にそのたくましい機能を維持していくことだろう。

        
           (了)


      最後までお読みいただき、ありがとうございました。
      より居心地のよい、我した島にできたら……と、思います。




琉球衛研物語
総インデックス
全72セクション・リンク
§1 全国の衛生研究所とその働き
§2 琉球衛生研究所の生い立ち
§3 衛研の庁舎新築
§4 衛研への本土学者の応援
§5 保健婦のためいき
§6 ハブの啼き声
§7 地から湧く日本脳炎
§8 燃える井戸
§9 アルミニューム工場誘致問題
§10 ワシントン条約とサンシン
§11 ホテルに泊まったニシキヘビ
§12 性病Gメン
§13 毒ガス移送問題
§14 米軍PCP汚染事件
§15 沖縄県公衆衛生協会誕生
§16 牛糞をこねる男
§17ゴールデンシャワーとの出会 い
§18 熱帯花木オンパレード
§19 田熱・レプトスピラ症
§20 テイシューが湧く井戸
§21 蚊が死なない
§22 野ネズミが消えた
§23 バガス病
§24 危し宮古島地下水脈
§25 宮古島地下水対策協議会誕生
§26 水納島上陸作戦
§27 ハブとの住み分け大作戦
§28 国場川を埋め尽くす死魚
§29 南大東島水銀事件
§30 ハブの成長曲線
§31 血清銀行
§32 吹きまくる風疹
§33 轟く基地公害
§34 怒る中山貞則長官
§35 MSA対決
§36 毒牙の生え変わり
§37 寄生虫予防協会誕生
§38 多発する赤痢
§39 魚介類のコバルト汚染問題
§40 シガテラによる食中毒
§41 先天性代謝異常検査開始
§42 「青年の家」とハブ
§43 全校生徒眼が痛い!?
§44 ソロモンの星の下で
§45 平敷式血液塗末標本処理器
§46 古戦場ガダルカナルで
§47 塩漬け琉球列島
§48 中華料理店症候群
§49 逃げたハブ
§50 タリュウム中毒事件
§51 タバコとハブ
§52 ひよこの特攻隊
§53 アフリカマイマイ
§54 杜総明先生との再会
§55 沖縄にも肺吸虫
§56. 衛研、大里の新天地へ
§57 新庁舎建設委員会
§58 コレラ菌安謝川を汚す
§59 クワズイモのえぐ
§60 ハブ探索犬
§61 目下フンセンチュウ
§62 アスベスト撤去作戦
§63 JICAの研修生受け入れ
§64 久高島にハブ
§65 ヴェロニカ製ろ過装置
§66 のた打ち回る島々
§67 サミット先生のこと
§68 カンボジア沖縄友好の会誕生
§69 アセアンの森
§70 チョウケイの転戦
§71 寝たきり予防
§72 郷土劇 “ゆいまある





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