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吉田朝啓が公衆衛生の最前線「衛生研究所」を舞台に描く、
知られざる戦後・沖縄のリアルな裏面史!


ベトナム戦争の発進基地となった嘉手納から今日もまたB52爆撃機が爆音とともに飛び立つ。1968年頃。
 吉田朝啓

琉球衛研物語

 Ryukyu Eiken Monogatari 1946~1993

集団就職で本土へ向かう船の見送り風景。今日の飛行場にはない、テープでの別れ。1968年頃。

赤痢、日本脳炎、基地公害、米軍毒ガス移送から、ハブ、性病、アスベスト問題まで、ドクトル吉田朝啓が第五代所長として勤務した「琉球衛生研究所」は、米軍統治を背景に、戦後の沖縄の混乱と復興の中で、ありとあらゆる問題が発生した。ここには、歴史家や、マスコミが取り上げていない、沖縄戦後史に埋もれた特異な陰の部分が横たわっていて、史料的価値が高いばかりか、現代の日米地位協定に基づく、様々な問題と通底していて、見逃せない。
(編集人、サイト制作&運営 樋口謙一)


琉球衛研物語 §70.
チョウケイの転戦


1990年3月、チョウケイは定年を迎えた。
1970年に“衛研行き”を拝命して丁度20年になる。

当時、“衛研行き”を命じられるのは、功なり名を遂げたベテラン医師か、
いずれ臨床医界に進む心算だが義務感をもってしばらく
研究所を支えなければならないとする意気盛んな若医者であった。

チョウケイはそのどちらでもなかった。
一通り契約留学生としての義務年限を公務員として勤めたチョウケイが、
遅まきながら医者(臨床医)としての勉強を本腰を入れて
これから始めなければならないと考えていたところでの“衛研行き”は、
アクセルを踏むと同時に急ブレーキをかけられたようなショックである。

以前、照屋寛善先生に相談したとき、
基礎医学の調査研究や地域保健活動のご経験を拝聴し
「この方面も悪くないもんだよ」と諭されたときは、
「そうかなあ」ぐらいにしか思わなかった公衆衛生方面の進路だったが、
それでも、勧められるままに長崎大学風土病研究所に通い、
ロンドン大学に遊び、すでになんとなく臨床医としては
“潰し”が効かなくなってきた頃であったから、
ショックは軽く済んで、すんなりと“衛研行き”を受け入れた。

これが運のつきであった。

矢継ぎ早に襲ってくる伝染病の流行・食中毒の問題、
千年も続いているハブ問題、海や川や町や村の環境汚染問題、
基地公害に対する図太い米軍の態度、
そして、日本一・世界一の長寿をどう守るかという社会的問題、
これらの放っておけない焦眉の急務に関わりあっているうちに、
5年~10年と経ち、
そして結局20年の“衛研暮らし”となってしまったのである。

公務員の定年は原則として60歳だが、医師の方は65歳となっている。
普通の大学の4年卒にさらに2年長い医学部の
修学年限プラス研修期間を加えて、
結局一丁前の医師になるのにさらに5~6年は長くかかるという
理屈からか、病院・診療所・保健所に勤務する医師の定年は65歳。

ただし、衛研はその範疇には含まれず、
いつの頃からか60歳と定められたままであった。

1972年の日本復帰を前にして、同僚医師たちが、
「おい、衛研の医師定年制度をこの機会に本土並みに改めないと、
60歳でおっ放り出されるぞ」と、
忠告とも脅しともつかぬ申し入れがあったが、
チョウケイはじたばたしなかった。

広く知見を求め、総合的な判断を下すのには、
むしろ60歳をピークとした円熟の頃が有能である場合があるが、
若い研究員と一緒になって県内広く山野を駆け、
共同作業の中で人材を育て、後輩に有能な研究者を輩出させるには、
いつまでも瘡蓋のように一箇所にへばりついていてはいけない。

公衆衛生の分野に興味を持つ若い医師がいて、
衛研所長として望ましい人材がおればよし、
もしいなければ、医師でなくても、
沖縄にはもう十分に地方衛生研究所の長として
切り盛りしてくれる人材は育っているはずである。

「後に続く者を信じて、衛研を任そう」と、チョウケイは心に決めた。

その頃ちょうど、日本では、「地域保健法」の制定へ向けて、
保健・医療全体のシステムが見直されようとしていた。

旧来の「保健所法」に替わって
成り立った「地域保健法」(1994年公布)は、
公衆衛生活動の前面に立って活躍した県立の保健所を後方に配置して、
前面に市町村を押し出したのが特徴である。

旧来の保健所に相当する機関として、「市町村保健センター」が続出した。“生活者”としての市町村住民に最も近いところで、
保健・医療・福祉の連携プレーを実現する構えである。

後方に退いた県立の保健所は、
市町村を超えた食品衛生問題・精神保健問題や
エイズなどの感染症対策や難病問題や疫学統計問題など
広域の課題に取り組むようになり、併せて、
いままで保健・医療に付随しているような感じだった
「福祉部門」が合体して「福祉保健所」となった。

全国の地方衛生研究所の一員として
野外活動に重点を置いて韋駄天走りに活躍した衛研の立場はどうなるか?

当然、この新しい地域保健法の枠組みの中で刷新が迫られている。
それに保健・医療・福祉の分野もET(電子情報)の時代に突入しており、
県立保健所の分野を上回る広汎な分野の膨大な情報を手際よく処理して、さらに高次の情報を生み出し、行政に提供しなければならない。

幸いなことに衛研にはすでに疫学情報室を中心に、
公衆衛生のあらゆる分野の情報を収集し、解析し、
ファイルする機能が育っている。
地域保健法の新体制の中でいささかの憂いもなく
県政を支える体力・知力は十分である。

☆写真、現在の沖縄県衛生環境研究所の先進業務を紹介の予定。
        
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琉球衛研物語
総インデックス
全72セクション・リンク
§1 全国の衛生研究所とその働き
§2 琉球衛生研究所の生い立ち
§3 衛研の庁舎新築
§4 衛研への本土学者の応援
§5 保健婦のためいき
§6 ハブの啼き声
§7 地から湧く日本脳炎
§8 燃える井戸
§9 アルミニューム工場誘致問題
§10 ワシントン条約とサンシン
§11 ホテルに泊まったニシキヘビ
§12 性病Gメン
§13 毒ガス移送問題
§14 米軍PCP汚染事件
§15 沖縄県公衆衛生協会誕生
§16 牛糞をこねる男
§17ゴールデンシャワーとの出会 い
§18 熱帯花木オンパレード
§19 田熱・レプトスピラ症
§20 テイシューが湧く井戸
§21 蚊が死なない
§22 野ネズミが消えた
§23 バガス病
§24 危し宮古島地下水脈
§25 宮古島地下水対策協議会誕生
§26 水納島上陸作戦
§27 ハブとの住み分け大作戦
§28 国場川を埋め尽くす死魚
§29 南大東島水銀事件
§30 ハブの成長曲線
§31 血清銀行
§32 吹きまくる風疹
§33 轟く基地公害
§34 怒る中山貞則長官
§35 MSA対決
§36 毒牙の生え変わり
§37 寄生虫予防協会誕生
§38 多発する赤痢
§39 魚介類のコバルト汚染問題
§40 シガテラによる食中毒
§41 先天性代謝異常検査開始
§42 「青年の家」とハブ
§43 全校生徒眼が痛い!?
§44 ソロモンの星の下で
§45 平敷式血液塗末標本処理器
§46 古戦場ガダルカナルで
§47 塩漬け琉球列島
§48 中華料理店症候群
§49 逃げたハブ
§50 タリュウム中毒事件
§51 タバコとハブ
§52 ひよこの特攻隊
§53 アフリカマイマイ
§54 杜総明先生との再会
§55 沖縄にも肺吸虫
§56. 衛研、大里の新天地へ
§57 新庁舎建設委員会
§58 コレラ菌安謝川を汚す
§59 クワズイモのえぐ
§60 ハブ探索犬
§61 目下フンセンチュウ
§62 アスベスト撤去作戦
§63 JICAの研修生受け入れ
§64 久高島にハブ
§65 ヴェロニカ製ろ過装置
§66 のた打ち回る島々
§67 サミット先生のこと
§68 カンボジア沖縄友好の会誕生
§69 アセアンの森
§70 チョウケイの転戦
§71 寝たきり予防
§72 郷土劇 “ゆいまある





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