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吉田朝啓が公衆衛生の最前線「衛生研究所」を舞台に描く、
知られざる戦後・沖縄のリアルな裏面史!


ベトナム戦争の発進基地となった嘉手納から今日もまたB52爆撃機が爆音とともに飛び立つ。1968年頃。
 吉田朝啓

琉球衛研物語

 Ryukyu Eiken Monogatari 1946~1993

集団就職で本土へ向かう船の見送り風景。今日の飛行場にはない、テープでの別れ。1968年頃。

赤痢、日本脳炎、基地公害、米軍毒ガス移送から、ハブ、性病、アスベスト問題まで、ドクトル吉田朝啓が第五代所長として勤務した「琉球衛生研究所」は、米軍統治を背景に、戦後の沖縄の混乱と復興の中で、ありとあらゆる問題が発生した。ここには、歴史家や、マスコミが取り上げていない、沖縄戦後史に埋もれた特異な陰の部分が横たわっていて、史料的価値が高いばかりか、現代の日米地位協定に基づく、様々な問題と通底していて、見逃せない。
(編集人、サイト制作&運営 樋口謙一)


琉球衛研物語 §69.
アセアンの森


1984年、春、研修を終えてそれぞれの国に帰る
JICA研修生のための送別会が始まった。

衛研のある丘は、大里城址公園の西の麓にあるから、月の出はおそい。
それを計算に入れて、パーティーは夜の7時と決定。

どこかで軽音楽が聞こえる。
結成されて久しい“衛研バンド”だ。
スチールギターの洲山、ウクレレの池田、クラシックギターの花城、大宜味、そしてタンバリンの島田の5人。

どの職場にも、歌や三味線、舞踊や詩吟など、
ひそかに趣味を磨いているサラリーマンはいるもんだが、
“衛研バンド”の5人のパフォーマンスは半端じゃない。

「アロハオエ」「パーリーシェル」などのハワイアンがメインだが、
求めに応じて曲目を披露する実力が買われて、
県庁のいろいろな宴席に招かれる。

職員が賑やかに会場の設営やご馳走の配置に動き回る間、
チョウケイはインドネシアからの研修生ルシアティさんに声をかけて、
かねてから打ち合わせておいたブンガワンソロの斉唱を確認した。

“ブンガワンソロー、清き流れ、ソロ川の水、永久に 尽きせぬ・・・”、
哀愁のこもる有名な歌。
戦前から戦後にかけて日本でも広く歌われたメロディーを
チョウケイも覚えていて、なにかしら物悲しくなったときなど一人で口ずさむ。

そのルシアティさん、ジャワにある国立公害研究所に勤める
薬理学の専門家で、白い歯がきれいなインドネシア美人だ。

送別会が決まったとき、5人の研修生にもそれぞれ
18番を義務付けられていることを知って、
ルシアティさんが大いに悩んでいるところへ、
チョウケイは“ブンガワンソロ”を提案して、彼女を安心させたわけである。

インドネシア語と日本語の歌詞を交互に歌うという段取りである。
フィリッピンからの研修生テレシアさんとは、
フィリッピン国家をチョウケイと一緒に歌うことになっている。

WHOマラリア防圧研修所に通っていた若い頃、
フィリッピン国歌が気に入って、
一生懸命に歌詞と歌曲を覚えたチョウケイである。
リズムのいい曲は、歌詞を忘れていても
ハミングだけでも楽しい国歌である。

シンガポールからの鄭さんは、中国系の男性で、
なにも歌えないからと辞退していたが、追い詰められて、
ついに中国伝来のタイツィーチェン(太極拳)を演舞すると言い出した。

タイから来た二人の若い女性ブサバさんとピアダさんは、
タイ王国伝統の踊りをすでに覚悟して用意している。

長い指の爪とかキンキラキンの衣装は用意できないが、
シルクの大きい襷を二人とも持っていて、
舞踊曲のテープも用意してあるという。

タイをはじめインドシナ半島やインドネシア辺りの民族舞踊を
チョウケイは度々見る機会があり、親近感を覚えるのだが、
手と足の動きがとても琉球舞踊のそれと似ていることに
気づかされるものである。

親指と人差し指で丸を作り、残りの指を揃える形を“鳳眼”というそうだが、
その鳳凰の目がほぐれたり反り返ったりしながら
上半身の周囲に舞う仕草に共通性がたくさん見つかるのである。

タイの女性二人がそこのところを
今回大いに披露してくれることを期待したい。

会も酣の頃、放射能調査斑のリーダー宮国主任研究員が
立ち上がって歌い始めた。

「荒城の月」である。
土井晩翠作詞、滝廉太郎作曲のこの名曲は、
月夜であれば誰が歌ってもいい感じが出るが、
宮国主任の場合は仕込みが違う。

バリトンかテノールか区別が付かないくらいに抑えて、
しかも声量も情感もたっぷりと込めて歌うもんだから、みんなの心を打つ。

わいわい騒いでいた職員みんながシーンとなって聞きほれているとき、
東の空大里城址公園の上に、満月が昇って煌々と輝き始めた。

翌日は晴天で、アセアンの研修生全員と職員総出で、
構内緑化作業が行われた。

ソウシジュ(総思樹)、リュウキュウマツ(琉球松)、デイゴ(梯梧)、
ホルトノキが、数百本、庁舎の周りに植えられ、
それぞれの適所に「シンガポールの森」、「タイの森」、「フィリッピンの森」、
「インドネシアの森」、と彫りこまれたコンクリート柱が立てられた。

チョウケイの稚気稚気蛮蛮・遊び心の提案であったが、
「森の中の研究所」は建築当初からの構想である。

「樹は鳥を、鳥は樹を呼ぶ、森の知恵」。

現在、県立衛生環境研究所の構内は、
緑化作業で植えられた樹以外にも、
植えた覚えのない多種多様な樹が生い茂って庁舎は
涼風と静寂に包まれている。



沖縄衛生研究所本館正面。これまでの様々の植樹活動により、施設内がこんもりとした緑に包まれている


衛研の敷地内を緑で満たすために、ヤンバル大宜味村の山から琉球松の苗を採取しているところ(1988年)

        
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琉球衛研物語
総インデックス
全72セクション・リンク
§1 全国の衛生研究所とその働き
§2 琉球衛生研究所の生い立ち
§3 衛研の庁舎新築
§4 衛研への本土学者の応援
§5 保健婦のためいき
§6 ハブの啼き声
§7 地から湧く日本脳炎
§8 燃える井戸
§9 アルミニューム工場誘致問題
§10 ワシントン条約とサンシン
§11 ホテルに泊まったニシキヘビ
§12 性病Gメン
§13 毒ガス移送問題
§14 米軍PCP汚染事件
§15 沖縄県公衆衛生協会誕生
§16 牛糞をこねる男
§17ゴールデンシャワーとの出会 い
§18 熱帯花木オンパレード
§19 田熱・レプトスピラ症
§20 テイシューが湧く井戸
§21 蚊が死なない
§22 野ネズミが消えた
§23 バガス病
§24 危し宮古島地下水脈
§25 宮古島地下水対策協議会誕生
§26 水納島上陸作戦
§27 ハブとの住み分け大作戦
§28 国場川を埋め尽くす死魚
§29 南大東島水銀事件
§30 ハブの成長曲線
§31 血清銀行
§32 吹きまくる風疹
§33 轟く基地公害
§34 怒る中山貞則長官
§35 MSA対決
§36 毒牙の生え変わり
§37 寄生虫予防協会誕生
§38 多発する赤痢
§39 魚介類のコバルト汚染問題
§40 シガテラによる食中毒
§41 先天性代謝異常検査開始
§42 「青年の家」とハブ
§43 全校生徒眼が痛い!?
§44 ソロモンの星の下で
§45 平敷式血液塗末標本処理器
§46 古戦場ガダルカナルで
§47 塩漬け琉球列島
§48 中華料理店症候群
§49 逃げたハブ
§50 タリュウム中毒事件
§51 タバコとハブ
§52 ひよこの特攻隊
§53 アフリカマイマイ
§54 杜総明先生との再会
§55 沖縄にも肺吸虫
§56. 衛研、大里の新天地へ
§57 新庁舎建設委員会
§58 コレラ菌安謝川を汚す
§59 クワズイモのえぐ
§60 ハブ探索犬
§61 目下フンセンチュウ
§62 アスベスト撤去作戦
§63 JICAの研修生受け入れ
§64 久高島にハブ
§65 ヴェロニカ製ろ過装置
§66 のた打ち回る島々
§67 サミット先生のこと
§68 カンボジア沖縄友好の会誕生
§69 アセアンの森
§70 チョウケイの転戦
§71 寝たきり予防
§72 郷土劇 “ゆいまある”





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