トップページへ戻る衛研物語について筆者紹介沖縄戦後史年表リンク掲示板お知らせ・更新 mail: chokei@nirai.ne.jp

吉田朝啓が公衆衛生の最前線「衛生研究所」を舞台に描く、
知られざる戦後・沖縄のリアルな裏面史!


ベトナム戦争の発進基地となった嘉手納から今日もまたB52爆撃機が爆音とともに飛び立つ。1968年頃。
 吉田朝啓

琉球衛研物語

 Ryukyu Eiken Monogatari 1946~1993

集団就職で本土へ向かう船の見送り風景。今日の飛行場にはない、テープでの別れ。1968年頃。

赤痢、日本脳炎、基地公害、米軍毒ガス移送から、ハブ、性病、アスベスト問題まで、ドクトル吉田朝啓が第五代所長として勤務した「琉球衛生研究所」は、米軍統治を背景に、戦後の沖縄の混乱と復興の中で、ありとあらゆる問題が発生した。ここには、歴史家や、マスコミが取り上げていない、沖縄戦後史に埋もれた特異な陰の部分が横たわっていて、史料的価値が高いばかりか、現代の日米地位協定に基づく、様々な問題と通底していて、見逃せない。
(編集人、サイト制作&運営 樋口謙一)


琉球衛研物語 §67.
サミット先生のこと


1989年、5月、
新しいJICA研修生グループが衛研にやって来た。

例年通り5名であるが、今回は初めて中国からも一人加わっている。
田中角栄総理時代にすでに日中国交回復がなされて、
日中間の人の往来も増えるようになっていたが、
まさか、小さい琉球の一研究機関に大国の中華人民共和国からの
研修生をお迎えするようになるとは。


サミット先生(左、右・筆者)、その後、カンボジア沖縄友好の会を創立した。

歓迎式で前面に並んだ各国の若者たちに対面して、
衛研の職員たちも、年々拡大充実していく国際交流の機運を感じて、
心なしか自信と友愛に満ちているような面持ちである。
チョウケイも、中国からの研修生を迎える今年は、感慨一入である。

そもそも、500年前の琉球は、
王国とはいえ、吹けばとぶよな島国であった。
魚以外に天然資源のほとんど無い島々の先祖たちは、
船を駆って大和、朝鮮、中国、東南アジアとの貿易をする以外に
国を豊かにする方法がなかった。

中でも中国は特別な相手国で、
王が変わるたびに冊封(属国としての認証?)を受け、
定期に貢物を運び、復路を利用して大国からの文物を仕入れたという。

琉球から運んだ物はなんだったか。
硫黄鳥島の硫黄か。海鳥の糞からなる燐鉱石か。
螺鈿細工に使う深海のヤコウガイか。

昆布は薩摩に押し付けられて高級品を運んだそうだが、
いずれも中国側は喜んだに違いない。
“地図にも載ってないような小さい国から、
よくもまあこんなにも珍しい品々を運んできてくれたもんよ”と、
北京の帝王は目を細めて琉球人を歓待したのだろう。

帰路に中国から導入したモノはなんだったか。
鉄は農機具用に早くから取り入れたに違いない。
刺青やカンプー、ヒンプン(屏風)や亀甲墓、
ウシーミー(清明祭)やハーリー(爬龍船競漕)。
そして、多くの建築・土木の技術者たちが続々と渡って来たに違いない。

第二尚氏王統の時代になって、いよいよ海外貿易が盛んになり、
“日域をもって唇歯(極めて親密な関係)となし、
三韓(朝鮮半島の三つの小王国)の秀を集め、
中国とは輔車(相互に補い合う関係)の付き合いを保ち、
遠くアンナン・カンボジア・シャム・ルソンの国々とも永く対等の
国際関係を維持して“異産至宝が十方刹に充満する”ようになっても、
やはり中国には一目を置いて、
宗主国なみに敬意を払っていたに違いない。

その中国から、白哲の青年がやって来たのだ。
福建省の保健衛生中心で環境衛生専門員として働いているという。

明治新政府によって閉ざされるまでの数百年間、
琉球から数年ごとに進貢船を差し向けて
中国との平和的外交を続けていたという歴史を、
この青年は知らずにいるだろうが、
そのことは時間をかけてゆっくり話しをして上げよう。

「ヨシタセンセイ、トーゾヨロシク」と、握手を求めてきた。
英語が得意だが、あえて日本語を使う心遣いがうれしい。

グループの中には、気になるメンバーがもう一人いた。
カンボジアから来たシム・サミット医師。

十回近いJICA研修プログラムの歴史(1990年時点)で、
カンボジアからの研修生はこれが最初である。
(そして、これが最後であったが)医師の身分の研修生も最初である。

他の4人が、ニコニコワイワイと毎日研修生活を楽しんでいる風情なのに、
このサミット先生、朝から晩まで苦虫を噛み潰したように
ワジャンカーしていて、滅多に笑顔を見せない。

感染症・寄生虫病対策の研修も別に不服ではないらしいし、
職員の対応にも不満はないらしい。
チョウケイは、しかし、すぐ見当がついた。

カンボジアはいま内戦中なのだ。
ポルポト軍が全国を制覇して残虐の限りを尽くしてから、
今度はベトナム軍が侵攻してきて、右往左往する国民の多くが、
タイとの国境沿いにキャンプを設けて避難している状況なのだ。

「サミット先生、どうですか、もう、なれましたか」
「はい、ありがとう」
「英語にしましょうか」
「イエス アイ プリファー イングリシュ」ということで、
片言同士の英語でうまく話しが進んで、
サミット一家のことを明らかにすることができた。



        
次のセクション「§68.カンボジア沖縄友好の会誕生」へ




琉球衛研物語
総インデックス
全72セクション・リンク
§1 全国の衛生研究所とその働き
§2 琉球衛生研究所の生い立ち
§3 衛研の庁舎新築
§4 衛研への本土学者の応援
§5 保健婦のためいき
§6 ハブの啼き声
§7 地から湧く日本脳炎
§8 燃える井戸
§9 アルミニューム工場誘致問題
§10 ワシントン条約とサンシン
§11 ホテルに泊まったニシキヘビ
§12 性病Gメン
§13 毒ガス移送問題
§14 米軍PCP汚染事件
§15 沖縄県公衆衛生協会誕生
§16 牛糞をこねる男
§17ゴールデンシャワーとの出会 い
§18 熱帯花木オンパレード
§19 田熱・レプトスピラ症
§20 テイシューが湧く井戸
§21 蚊が死なない
§22 野ネズミが消えた
§23 バガス病
§24 危し宮古島地下水脈
§25 宮古島地下水対策協議会誕生
§26 水納島上陸作戦
§27 ハブとの住み分け大作戦
§28 国場川を埋め尽くす死魚
§29 南大東島水銀事件
§30 ハブの成長曲線
§31 血清銀行
§32 吹きまくる風疹
§33 轟く基地公害
§34 怒る中山貞則長官
§35 MSA対決
§36 毒牙の生え変わり
§37 寄生虫予防協会誕生
§38 多発する赤痢
§39 魚介類のコバルト汚染問題
§40 シガテラによる食中毒
§41 先天性代謝異常検査開始
§42 「青年の家」とハブ
§43 全校生徒眼が痛い!?
§44 ソロモンの星の下で
§45 平敷式血液塗末標本処理器
§46 古戦場ガダルカナルで
§47 塩漬け琉球列島
§48 中華料理店症候群
§49 逃げたハブ
§50 タリュウム中毒事件
§51 タバコとハブ
§52 ひよこの特攻隊
§53 アフリカマイマイ
§54 杜総明先生との再会
§55 沖縄にも肺吸虫
§56. 衛研、大里の新天地へ
§57 新庁舎建設委員会
§58 コレラ菌安謝川を汚す
§59 クワズイモのえぐ
§60 ハブ探索犬
§61 目下フンセンチュウ
§62 アスベスト撤去作戦
§63 JICAの研修生受け入れ
§64 久高島にハブ
§65 ヴェロニカ製ろ過装置
§66 のた打ち回る島々
§67 サミット先生のこと
§68 カンボジア沖縄友好の会誕生
§69 アセアンの森
§70 チョウケイの転戦
§71 寝たきり予防
§72 郷土劇 “ゆいまある





トップページへ戻る|衛研物語について|筆者紹介|沖縄戦後史年表|リンク|掲示板|お知らせ・更新 mail: chokei@nirai.ne.jp 
Copyright © Yoshida Chokei. All Rights Reserved.

inserted by FC2 system