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吉田朝啓が公衆衛生の最前線「衛生研究所」を舞台に描く、
知られざる戦後・沖縄のリアルな裏面史!


ベトナム戦争の発進基地となった嘉手納から今日もまたB52爆撃機が爆音とともに飛び立つ。1968年頃。
 吉田朝啓

琉球衛研物語

 Ryukyu Eiken Monogatari 1946~1993

集団就職で本土へ向かう船の見送り風景。今日の飛行場にはない、テープでの別れ。1968年頃。

赤痢、日本脳炎、基地公害、米軍毒ガス移送から、ハブ、性病、アスベスト問題まで、ドクトル吉田朝啓が第五代所長として勤務した「琉球衛生研究所」は、米軍統治を背景に、戦後の沖縄の混乱と復興の中で、ありとあらゆる問題が発生した。ここには、歴史家や、マスコミが取り上げていない、沖縄戦後史に埋もれた特異な陰の部分が横たわっていて、史料的価値が高いばかりか、現代の日米地位協定に基づく、様々な問題と通底していて、見逃せない。
(編集人、サイト制作&運営 樋口謙一)


琉球衛研物語 §66.
のた打ち回る島々


沖縄本島の中部・南部は
弱アルカリ性の土壌に覆われた丘陵地帯で、
戦前からサトウキビと芋と野菜ぐらいしか作れない
カリキグニ(枯れ木国)といわれるほど生産性の低い農村地帯であった。

北部も海岸沿いの低地を除けば山また山の山岳地帯で、
薪炭類を中南部に出荷するぐらいで、
これまた生産性の低いイナカヤンバルといわれた未開発地帯であった。

ところが、激しい地上戦の後、米軍が至るところに基地を開き、
元々の集落を分散させ、軍用道路を四通八達させ、
山や海や里を引っ掻き回したものだから、沖縄の島々は激変した。

その後、日本復帰によって、沖縄開発庁が置かれ、
膨大な開発資金が注ぎ込まれた頃から、
本土の巨大企業と地元の企業による開発が活発になり、
道路・港湾・住宅地・農耕地と開発にいそしんだものだから、
生産性は上がり便利にはなったが、
沖縄本島はズタズタになり、山容はすっかり改まったのである。

沖縄本島は、いま、のたうちまわっている。

国頭・本部半島の山は建築工事用のセメントや砂利に変わり、
中南部の岩山も道路工事用の
イシグー(珊瑚礁性の砂利)に姿を変えていく。




岩山の下のマージの層は、
引っかきまわされてパイナップル畑・キビ畑・住宅地に変わり、
米軍演習地や戦車道路となり、国道・県道・市町村道となって、
古来の地肌はもうほとんどない。

ウチナンチュが太古の昔この列島に住み着き、村をつくり、
農耕地を広げた時代に、地面を削ることは仕方ないことではあった。

いまでも、丘陵地帯に手を加えて生産性の高い農地や
住宅地に改変するのは致し方ないことで、県民は大方納得している。

しかし、山を削ったら、その影響は海まで及ぶという
自然の摂理と現象を、ウチナンチュは開発を進めていった頃には、
ずっと軽視し続けた。

「ヤマチッチャン(森や丘を伐ってしまった=とんでもないことになった)」
という悲痛な経験則を忘れる戦後であった。

乱開発と自然保護は、環境容量の小さい琉球列島では両立しない。
一定の面積の地面(海面)とその全体を包む生態系には
“環境容量”という制約があるんだが、
増え続ける人口を養うために海と山をどう利用するかという
高度の判断は琉球政府と現在の県庁の最大の課題であり続けた。
その判断を誤ると、地面は呻吟し、涙と血を流す。

ある日、研究所の廊下の端っこで2~3人の黒装束の男たちが
うごめいているのを見て、チョウケイが近づいてみると、
なんと、ゴム製のウェットスーツに身を包んだ
主任研究員の大宜味君と水質斑のメンバーであった。

「どうしたんだ、そんな忍者みたいな格好して」
「赤土汚染対策が始まるんで、
海水中の赤土を調べるために潜る練習をするんです」
「ほほう、ダイビングね。してして、どこの海に潜るんだ」
「もう、いたるところです」
「いたるところ!」。

大気中の塩分濃度に関する研究を大きく前進させた
大宜味君たち「大気斑」は、今度は、
新たに深刻化してきた赤土問題に転戦することになり、
「潜水隊」を組んだということである。

沖縄本島に雨が降ると、いたるところの農地から赤土が流れ出て、
川や海が真っ赤に染まり、観光資源としての青い海が泣く。

それどころか、赤土のとても細かい粒子がいつまでも浮遊して、
サンゴに懸かり、珊瑚虫を窒息させ、リーフを荒廃させる。

リーフが荒れると魚が遠のく。

県当局も赤土汚染の重大さを認識して、施策を展開した。
大宜味君たち衛研チームの活躍によって、いろいろな新知見も得られた。

水中の懸濁物質(SS)の量を測るのに、
日本全国共通の単純な方法では、波の影響の大きい沖縄の海では
通用せず、新しい尺度が必要であった。
その赤土測定の新方式を衛県斑が創出したのである。



        
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琉球衛研物語
総インデックス
全72セクション・リンク
§1 全国の衛生研究所とその働き
§2 琉球衛生研究所の生い立ち
§3 衛研の庁舎新築
§4 衛研への本土学者の応援
§5 保健婦のためいき
§6 ハブの啼き声
§7 地から湧く日本脳炎
§8 燃える井戸
§9 アルミニューム工場誘致問題
§10 ワシントン条約とサンシン
§11 ホテルに泊まったニシキヘビ
§12 性病Gメン
§13 毒ガス移送問題
§14 米軍PCP汚染事件
§15 沖縄県公衆衛生協会誕生
§16 牛糞をこねる男
§17ゴールデンシャワーとの出会 い
§18 熱帯花木オンパレード
§19 田熱・レプトスピラ症
§20 テイシューが湧く井戸
§21 蚊が死なない
§22 野ネズミが消えた
§23 バガス病
§24 危し宮古島地下水脈
§25 宮古島地下水対策協議会誕生
§26 水納島上陸作戦
§27 ハブとの住み分け大作戦
§28 国場川を埋め尽くす死魚
§29 南大東島水銀事件
§30 ハブの成長曲線
§31 血清銀行
§32 吹きまくる風疹
§33 轟く基地公害
§34 怒る中山貞則長官
§35 MSA対決
§36 毒牙の生え変わり
§37 寄生虫予防協会誕生
§38 多発する赤痢
§39 魚介類のコバルト汚染問題
§40 シガテラによる食中毒
§41 先天性代謝異常検査開始
§42 「青年の家」とハブ
§43 全校生徒眼が痛い!?
§44 ソロモンの星の下で
§45 平敷式血液塗末標本処理器
§46 古戦場ガダルカナルで
§47 塩漬け琉球列島
§48 中華料理店症候群
§49 逃げたハブ
§50 タリュウム中毒事件
§51 タバコとハブ
§52 ひよこの特攻隊
§53 アフリカマイマイ
§54 杜総明先生との再会
§55 沖縄にも肺吸虫
§56. 衛研、大里の新天地へ
§57 新庁舎建設委員会
§58 コレラ菌安謝川を汚す
§59 クワズイモのえぐ
§60 ハブ探索犬
§61 目下フンセンチュウ
§62 アスベスト撤去作戦
§63 JICAの研修生受け入れ
§64 久高島にハブ
§65 ヴェロニカ製ろ過装置
§66 のた打ち回る島々
§67 サミット先生のこと
§68 カンボジア沖縄友好の会誕生
§69 アセアンの森
§70 チョウケイの転戦
§71 寝たきり予防
§72 郷土劇 “ゆいまある





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