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吉田朝啓が公衆衛生の最前線「衛生研究所」を舞台に描く、
知られざる戦後・沖縄のリアルな裏面史!


ベトナム戦争の発進基地となった嘉手納から今日もまたB52爆撃機が爆音とともに飛び立つ。1968年頃。
 吉田朝啓

琉球衛研物語

 Ryukyu Eiken Monogatari 1946~1993

集団就職で本土へ向かう船の見送り風景。今日の飛行場にはない、テープでの別れ。1968年頃。

赤痢、日本脳炎、基地公害、米軍毒ガス移送から、ハブ、性病、アスベスト問題まで、ドクトル吉田朝啓が第五代所長として勤務した「琉球衛生研究所」は、米軍統治を背景に、戦後の沖縄の混乱と復興の中で、ありとあらゆる問題が発生した。ここには、歴史家や、マスコミが取り上げていない、沖縄戦後史に埋もれた特異な陰の部分が横たわっていて、史料的価値が高いばかりか、現代の日米地位協定に基づく、様々な問題と通底していて、見逃せない。
(編集人、サイト制作&運営 樋口謙一)


琉球衛研物語 §63.
JICAの研修生受け入れ


日本国際協力機構(JICA=Japan International Cooperation Agency)は、外務省管轄の独立行政法人である。

以前の日本移住事業団などを取り込んで、
国際交流を広く担当する大きな組織になった。
全国18箇所に国際センターを設置して、
開発途上国の政府関係者などを対象にした各種分野の研修、
ジャイカボランティアの募集や派遣に関する事業を行っている。

政府の方針で毎年巨額の予算を駆使して、東南アジアだけでなく、
開発途上国の民間活動と政府の事業を支援するのが主務で、
その広範な活動は高く評価されている。

福岡県にあるJICA九州のセンターが
全九州一円を所管するのに対して、沖縄国際センターは沖縄県のみを
対象として設置された基幹センターである。
戦後半世紀にわたる沖縄県独自の国際交流事業が
高く評価されたのだろう。

そして、無視できないのは、沖縄の持つ地域特性として、
①亜熱帯沖縄の気候風土が
東南アジアの熱帯性気候に著しく近いということ、
②その気候風土に密着した各種の風土病に対して採られた疾病対策が
見事に奏効して長寿日本一否世界一の金字塔を打ち立てたという業績、
③人々ののんびりとした精神的なムードも共通であること、
④長い琉球王国時代に東南アジア諸国との平和的な
国際交流と貿易によって培われた沖縄の伝統文化が豊かであること、
そしてなにより、
⑤戦前戦後を通じて世界に数多くの移住者を送り出している移住先進県であるということ、
これが沖縄国際センター設立の大きな根拠となったと思われる。

1982年の春、チョウケイ所長の部屋に
沖縄国際センター(OIC=Okinawa International Center)の
課長さんが訪ねてきた。

「JICAの事業の一つとして
外国の研修生を受け入れるプログラムがあります。
OICの施設だけでなく、県内の研究機関に委託して、
実践的な研修をお願いしたいのですが、・・・」
「はあ」。
「風土病対策で実績のある衛研にも受け入れをお願いしたいのですが」
「はあ」。
「さしあたり、この9月から、5名ほど東南アジアの研修生を
予定しているのですが・・・」
「はあ」。

生返事ばかりしているチョウケイ所長に、付き添いの事務官が口を添えた。

「ご迷惑にならないように、必要経費はすべてJICAの方で支弁しますし、
謝金や旅費や備品・消耗品費などもちゃんと用意されてあります」。

そこでやっとチョウケイが口をきいた。
「面白い話ですねえ。とても興味があります」。

沖縄の持つ輝かしい地域特性を熟知していて、
これを何とかして衛研の活動を通じて“海外に売り出せんもんかいな”と、
いつも考えていたチョウケイにとっては、
“勿怪の幸い”、“渡りに船”ではあるのだ。

先人たちがやってのけた風土病根絶の偉業は、
そのままメニューを整えれば“売れる”し、
米軍と対峙して丁々発止とやり合った基地公害対策のあれこれも、
お膳立てすれば、発展途上国のみなさんには
示唆に富むおいしいカリキュラムとなるだろう。

寄生虫対策や伝染病予防は、
いまだに新鮮な課題で、熱帯地方の研修生と一緒に勉強できる。

でも、市町村の職員や県内保健所スタッフに対して
訓練したり研修をしたりという業務は衛研の主務であり、慣れているが、
外国人を受け入れての研修となると、一筋縄ではいかない。

第一、言葉の問題がある。
チョウケイ所長の他に英語を若干話せる職員がいるにはいるが、
いつも英語では、疲れてしまう。

その懸念を事務官に話したら、
「ああ、その点でしたら、問題ないと思います。
ベテラン通訳が付きっ切りで対応しますし、
研修生たちも東京で一応日本語の特訓を受けていますから、
研修には支障はないと思います」、という。

気持ちが少しずつほぐれていくのを感じながら、
でも、チョウケイの頭の中にはまだいくつものわだかまりが渦を巻いていた。

一つ、職員が納得して協力するかどうか。
二つ、本庁の主管課が納得するかどうか。

得てして「そんな余裕があるならもっと衛研の主務に没頭しろ」と
いわれるのが、オチである。
「そんな余計な業務に使う人手があるなら、定員削減の対象になるぞ」。

三つ、県庁の大きな方針の一つに国際交流を上げ、
全県挙げてこれに邁進するとなっていても、総論賛成・・・、
中間管理職になると、各論反対となるに決まっている。

しかし、さすが沖縄県庁である。
旬日を経ずして主管課から連絡が入り、
JICA研修生受け入れの方針が決められた。

そして、翌1983年9月のある日。
フィリピン、タイ(2名)、シンガポール、インドネシアの、
きらびやかな衣装をまとった女性や、民族衣装に身を固めた紳士たち、
合計5名の研修生がOICのバスから衛研の玄関前に降り立った。


タンザニアのJICA研修生による衛研研修記念植樹活動。ここはタンザニアの森と名付けられた(1988年、中央・筆者)

        
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琉球衛研物語
総インデックス
全72セクション・リンク
§1 全国の衛生研究所とその働き
§2 琉球衛生研究所の生い立ち
§3 衛研の庁舎新築
§4 衛研への本土学者の応援
§5 保健婦のためいき
§6 ハブの啼き声
§7 地から湧く日本脳炎
§8 燃える井戸
§9 アルミニューム工場誘致問題
§10 ワシントン条約とサンシン
§11 ホテルに泊まったニシキヘビ
§12 性病Gメン
§13 毒ガス移送問題
§14 米軍PCP汚染事件
§15 沖縄県公衆衛生協会誕生
§16 牛糞をこねる男
§17ゴールデンシャワーとの出会 い
§18 熱帯花木オンパレード
§19 田熱・レプトスピラ症
§20 テイシューが湧く井戸
§21 蚊が死なない
§22 野ネズミが消えた
§23 バガス病
§24 危し宮古島地下水脈
§25 宮古島地下水対策協議会誕生
§26 水納島上陸作戦
§27 ハブとの住み分け大作戦
§28 国場川を埋め尽くす死魚
§29 南大東島水銀事件
§30 ハブの成長曲線
§31 血清銀行
§32 吹きまくる風疹
§33 轟く基地公害
§34 怒る中山貞則長官
§35 MSA対決
§36 毒牙の生え変わり
§37 寄生虫予防協会誕生
§38 多発する赤痢
§39 魚介類のコバルト汚染問題
§40 シガテラによる食中毒
§41 先天性代謝異常検査開始
§42 「青年の家」とハブ
§43 全校生徒眼が痛い!?
§44 ソロモンの星の下で
§45 平敷式血液塗末標本処理器
§46 古戦場ガダルカナルで
§47 塩漬け琉球列島
§48 中華料理店症候群
§49 逃げたハブ
§50 タリュウム中毒事件
§51 タバコとハブ
§52 ひよこの特攻隊
§53 アフリカマイマイ
§54 杜総明先生との再会
§55 沖縄にも肺吸虫
§56. 衛研、大里の新天地へ
§57 新庁舎建設委員会
§58 コレラ菌安謝川を汚す
§59 クワズイモのえぐ
§60 ハブ探索犬
§61 目下フンセンチュウ
§62 アスベスト撤去作戦
§63 JICAの研修生受け入れ
§64 久高島にハブ
§65 ヴェロニカ製ろ過装置
§66 のた打ち回る島々
§67 サミット先生のこと
§68 カンボジア沖縄友好の会誕生
§69 アセアンの森
§70 チョウケイの転戦
§71 寝たきり予防
§72 郷土劇 “ゆいまある





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