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吉田朝啓が公衆衛生の最前線「衛生研究所」を舞台に描く、
知られざる戦後・沖縄のリアルな裏面史!


ベトナム戦争の発進基地となった嘉手納から今日もまたB52爆撃機が爆音とともに飛び立つ。1968年頃。
 吉田朝啓

琉球衛研物語

 Ryukyu Eiken Monogatari 1946~1993

集団就職で本土へ向かう船の見送り風景。今日の飛行場にはない、テープでの別れ。1968年頃。

赤痢、日本脳炎、基地公害、米軍毒ガス移送から、ハブ、性病、アスベスト問題まで、ドクトル吉田朝啓が第五代所長として勤務した「琉球衛生研究所」は、米軍統治を背景に、戦後の沖縄の混乱と復興の中で、ありとあらゆる問題が発生した。ここには、歴史家や、マスコミが取り上げていない、沖縄戦後史に埋もれた特異な陰の部分が横たわっていて、史料的価値が高いばかりか、現代の日米地位協定に基づく、様々な問題と通底していて、見逃せない。
(編集人、サイト制作&運営 樋口謙一)


琉球衛研物語 §62.
アスベスト撤去作戦


1986(昭和61)年3月、沖縄県は新庁舎を建設するに当たり、
旧庁舎の取り壊し作業に取り掛かった。

 
旧琉球政府庁舎


旧庁舎とは、現沖縄県庁舎のある辺り、
琉球列島米国民生府(USCAR)が長期間使用していた
三階建てのビルである。 

最上階には、27年間も沖縄を統治した絶対権力者たるUSCARが占拠し、その下に琉球政府が納められていた。

1960(昭和35)年、アイゼンハワー大統領が来島した際、
嘉手納基地に到着して後、
大田政作行政主席とともにオープンカーに乗って、
1万5千の海兵隊員と700人の琉球警察官に守られる中、
到達した県庁の周辺には、誕生したばかりの沖縄県祖国復帰協議会が
動員した2万5千の県民が“アイク・デモ”を盛り上げていた。



スピードを上げてこの群衆の間を通り抜けたアイクは、
琉球政府庁舎でしばらく大田主席と会談して後、
“アイク帰れ”“沖縄返せ”などのシュプレヒコールが響く中、
今度は庁舎の裏口から那覇空軍基地へと向かわざるを得なかったが・・・。


アイゼンハワー大統領歓迎&阻止で物々しい旧琉球政府庁舎近辺、昭和35年。

アメリカ合衆国アイゼンハワー大統領が“通過”した
由緒ある建物ではあるが、
残念ながら建材として大量のアスベストが使われているということを、
以前から衛研の大田公害室長は知っていた。

宮城普吉所長(1960年)は、病理学者として
アスベスト類の肺組織に与える影響を早くも懸念して、対策を考えていた。

その指示により米国国立大気汚染研究所に留学した大田は、
アスベストの怖さを十分叩き込まれていたのである。

メキシコのアスベスト工場の労働者の間に際立って
肺ガン(中皮腫)が多いという事実、
さらに労働者の妻たちにも肺ガンが多いという事実、
妻たちが粉塵だらけの夫の作業着を自宅で洗濯する際に
アスベストを吸い込んだのが原因らしいという推論。

これらのことを頭に置いて、検査方法を習得して帰った。
そして旧庁舎の天井板、屋上のアスファルト、ボイラー室内装には
ふんだんにアスベストが含まれていることを、
研究者としてこっそりと内偵していたのである。

庁舎取り壊しの前(1984)、
大田室長は研究員の長山と島田を自室に呼んだ。

「米軍基地内の施設もさることながら、米軍によって建てられた
沖縄側の施設にも、大量のアスベストが使われているらしい」
「いずれ古いものから解体されて無害なものに変わっていくだろうけれども、その過程で起こるアスベスト粉塵問題が懸念される」
「環境庁や沖縄県庁も課題として施策を検討中だ、
君たち二人は先取りして本土の研究所で勉強してきてもらいたい」。

二人は、揃って通産省の産業技術研究所に国内留学した。
そして大田室長は、県庁担当課と合議して、県内の各保健所に、
一台ずつ“位相差顕微鏡”を配置する手を打った。
空気中アスベストの繊維をみるのに、普通の顕微鏡より精度がよく、
必須の備品である。

県庁庁舎の撤去作業が3月14日から始まった。
衛研の長山と島田を中心とした調査班は、事前に、
一般環境濃度を知るために、県庁敷地境界線上の3地点と、
民間住宅2軒、開南小学校2階、那覇市役所中庭、那覇保健所中庭、
Rデパート7階屋上、県職労組合本部3階など
「11の地点」に観測定点を置き、
「平常時」・「建材撤去中」・「庁舎開体中」・「庁舎開体後」の時点での
空気中アスベストの濃度を調べた。

その結果、どの地点も環境庁の調査報告(住宅地域の平均;1.04f/l,商業地域;1.42f/l)に近い値が得られた。
日常の生活環境の中にもアスベストは極微量ながら
飛散していることが判ったが、これを基準値とすることになった。

県庁第一庁舎・第三・第四・第五庁舎の作業現場を
ビニールシートで密閉し、水と特殊薬品でスプレーしながら、
第一庁舎ボイラー室を筆頭に、庁舎内の随所で
空気中のアスベストを測定した。

作業現場だけでなく、県庁周辺の民家や商店街への影響も考慮して、
作業中も上記の11地点で測定した。

このような緻密な調査の結果、
作業環境では予想通り水や薬液をスプレーしてもアスベストが舞い上がり、スプレーしなければなおさら多量に飛散すること、
民間地域への飛散は低く、作業空間を密閉して十分スプレーしながら
慎重に開体撤去すれば、周辺の環境への飛散は防御できるという
重要な結果を得たのである。

チョウケイ所長は、ただ公害室のベテランと新進気鋭の技術者たちの
活躍ぶりを遠くから観るばかりであったが、
いずれ沖縄にもアスベスト問題が押し寄せると予断して、
態勢を整えるのに尽力した宮城普吉前所長と大田室長の慧眼に脱帽した。

位相差顕微鏡は、いまでも各保健所にあって、
いつでもアスベストの懸念がある場合は、
担当の保健所と衛研が立ち上がれるようになっているはずである。



        
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琉球衛研物語
総インデックス
全72セクション・リンク
§1 全国の衛生研究所とその働き
§2 琉球衛生研究所の生い立ち
§3 衛研の庁舎新築
§4 衛研への本土学者の応援
§5 保健婦のためいき
§6 ハブの啼き声
§7 地から湧く日本脳炎
§8 燃える井戸
§9 アルミニューム工場誘致問題
§10 ワシントン条約とサンシン
§11 ホテルに泊まったニシキヘビ
§12 性病Gメン
§13 毒ガス移送問題
§14 米軍PCP汚染事件
§15 沖縄県公衆衛生協会誕生
§16 牛糞をこねる男
§17ゴールデンシャワーとの出会 い
§18 熱帯花木オンパレード
§19 田熱・レプトスピラ症
§20 テイシューが湧く井戸
§21 蚊が死なない
§22 野ネズミが消えた
§23 バガス病
§24 危し宮古島地下水脈
§25 宮古島地下水対策協議会誕生
§26 水納島上陸作戦
§27 ハブとの住み分け大作戦
§28 国場川を埋め尽くす死魚
§29 南大東島水銀事件
§30 ハブの成長曲線
§31 血清銀行
§32 吹きまくる風疹
§33 轟く基地公害
§34 怒る中山貞則長官
§35 MSA対決
§36 毒牙の生え変わり
§37 寄生虫予防協会誕生
§38 多発する赤痢
§39 魚介類のコバルト汚染問題
§40 シガテラによる食中毒
§41 先天性代謝異常検査開始
§42 「青年の家」とハブ
§43 全校生徒眼が痛い!?
§44 ソロモンの星の下で
§45 平敷式血液塗末標本処理器
§46 古戦場ガダルカナルで
§47 塩漬け琉球列島
§48 中華料理店症候群
§49 逃げたハブ
§50 タリュウム中毒事件
§51 タバコとハブ
§52 ひよこの特攻隊
§53 アフリカマイマイ
§54 杜総明先生との再会
§55 沖縄にも肺吸虫
§56. 衛研、大里の新天地へ
§57 新庁舎建設委員会
§58 コレラ菌安謝川を汚す
§59 クワズイモのえぐ
§60 ハブ探索犬
§61 目下フンセンチュウ
§62 アスベスト撤去作戦
§63 JICAの研修生受け入れ
§64 久高島にハブ
§65 ヴェロニカ製ろ過装置
§66 のた打ち回る島々
§67 サミット先生のこと
§68 カンボジア沖縄友好の会誕生
§69 アセアンの森
§70 チョウケイの転戦
§71 寝たきり予防
§72 郷土劇 “ゆいまある





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