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吉田朝啓が公衆衛生の最前線「衛生研究所」を舞台に描く、
知られざる戦後・沖縄のリアルな裏面史!


1954年(昭和29年)頃の国際劇場。この名前から、国際通りと呼ばれるようになった。
 吉田朝啓

琉球衛研物語

 Ryukyu Eiken Monogatari 1946~1993

波の上宮。1954年頃。

赤痢、日本脳炎、基地公害、米軍毒ガス移送から、ハブ、性病、アスベスト問題まで、ドクトル吉田朝啓が第五代所長として勤務した「琉球衛生研究所」は、米軍統治を背景に、戦後の沖縄の混乱と復興の中で、ありとあらゆる問題が発生した。ここには、歴史家や、マスコミが取り上げていない、沖縄戦後史に埋もれた特異な陰の部分が横たわっていて、史料的価値が高いばかりか、現代の日米地位協定に基づく、様々な問題と通底していて、見逃せない。
(編集人、サイト制作&運営 樋口謙一)


琉球衛研物語 §58.
コレラ菌安謝川を汚す


1980年、大里の新庁舎への移転を前にして
ソワソワしている衛研をコレラ騒動が襲った。

県庁から電話が入った。
今度は総務課を通さずに直接チョウケイ所長にである。
なにか重大なことを連絡するときは、このような直接法をとる。

「所長ですか?」
「はい」
「コレラが発生しているようです」
「えっ? どこにですか」
「安謝川にです」
「安謝川のどこに患者は収容されているの?」
「いま問い合わせ中です。とにかくスタンバイで準備していて下さい」。

那覇市と浦添市の境界を流れる安謝川

準備って、病人が多数出ていて、いわゆる流行なのか。
それとも飲み水なんかに菌がちょいと検出されただけなのか。
なにを準備していいのやら。

しかし、チョウケイ所長は慌てなかった。
コレラをはじめとする病原菌の検索や同定に関しては、
衛研は十分鍛えられているのだ。

かつて、1961年、インドネシアのセレベス島に源を発した
エルトール型コレラがフィリピン、香港、台湾と流行の輪を広げ、
東南アジアを席捲し、さらに南米にも伝播し、
年間患者数十万人までに発展した第七次世界大流行。

それぞれの地区で多数の犠牲者を出した1960年代初頭、
日本も中国も韓国も緊張して防疫体制を固めるのに懸命であった。

貿易品のチェックや人の検疫が厳しくなり、
汚染地を抱える国々の経済的打撃も増大した。

そんな状況の1962年夏、
衛研に持ち込まれた那覇市内の下痢患者の便から
“コレラ菌の疑い”という検査結果が出て、
次いで「陽性!エルトールコレラ菌検出」という正式の検査結果が
出たものだから、世間が騒然となった。

コレラなら法定伝染病の横綱で、
遅滞なく政府に報告しなければならない。

衛研の立場としても曖昧に結果を伸ばすわけにはいかない。
担当の新城微生物室長は国立予防衛生研究所で
繰り返し研修を受けたこの道のベテランである。
自信をもって診断した。

ところが、同一検体を念のためキャンプ桑江の米軍病院と
台湾の米海軍医療第二研究所(NAMRU#2)に送ったところ、
米軍病院では陰性、NAMUR#2では陽性の結果が出て、混乱。

当時の米国民生府(USCAR)ハイスミス公衆衛生福祉部長と
台湾在WHOペニントン博士との電話連絡で確認し合ったところ、
衛研で発見したエルトールコレラが正しく、
ダブルチェックは衛研の底力を実証することになった。

衛研の検査結果に基づいて、コレラの予防接種、患者の隔離治療、
環境対策が大々的に行われ、一時県内が騒然となったが、
間もなく二次患者もなく沈静化した。

今回発見された安謝川のコレラ菌というのは、
厚生省の那覇検疫所が通常業務として行っていた海水検査で、
那覇・浦添両市の境界を流れる安謝川の汚泥から
エルトールコレラ菌が検出されたもので、人体被害ではないが、
それより前から本土他府県の各地でコレラ菌が発見されており、
例えば和歌山県の有田市でコレラ患者が発生、
川崎市の河川水からコレラ菌が発見されたりしていて、
沖縄県でも念を入れて安謝川の調査をやることになった。

安謝川は首里の弁が岳に源を持つ二級河川で、
途中石嶺・久場川、平良、末吉、を経て、
安謝に下るわずか7kmの川だが、途中、河口付近に来ると
広大な天久の米軍住宅地から一本の支流が合流する。

調査班は、河口付近の汚泥にパイプを打ち込んで
重層的にコアサンプリングを採り、
このポイントを網の目のように広げて細菌学的に“安謝川を解剖した”。

さらに、米軍属・家族が居住する天久住宅地域から流下する小川を遡り、
境界の金網ぎりぎりにサンプリングしたのである。

「あれ、チョウケイ先生、そんな汚いところでなにをしているのぉ?」と
知り合いの奥さんに見つかったり、
「おや、福山君、どうしたんだ、泥んこになって? 
そんなとこにはドジョウはいないよ」と、土手の上から冷やかされたりして
奮闘したが、結局、本物のコレラ菌は発見されなかった。

 衛研における観察、分析作業

        
次のセクション「§59.クワズイモのえぐみ 」へ




琉球衛研物語
総インデックス
全72セクション・リンク
§1 全国の衛生研究所とその働き
§2 琉球衛生研究所の生い立ち
§3 衛研の庁舎新築
§4 衛研への本土学者の応援
§5 保健婦のためいき
§6 ハブの啼き声
§7 地から湧く日本脳炎
§8 燃える井戸
§9 アルミニューム工場誘致問題
§10 ワシントン条約とサンシン
§11 ホテルに泊まったニシキヘビ
§12 性病Gメン
§13 毒ガス移送問題
§14 米軍PCP汚染事件
§15 沖縄県公衆衛生協会誕生
§16 牛糞をこねる男
§17ゴールデンシャワーとの出会 い
§18 熱帯花木オンパレード
§19 田熱・レプトスピラ症
§20 テイシューが湧く井戸
§21 蚊が死なない
§22 野ネズミが消えた
§23 バガス病
§24 危し宮古島地下水脈
§25 宮古島地下水対策協議会誕生
§26 水納島上陸作戦
§27 ハブとの住み分け大作戦
§28 国場川を埋め尽くす死魚
§29 南大東島水銀事件
§30 ハブの成長曲線
§31 血清銀行
§32 吹きまくる風疹
§33 轟く基地公害
§34 怒る中山貞則長官
§35 MSA対決
§36 毒牙の生え変わり
§37 寄生虫予防協会誕生
§38 多発する赤痢
§39 魚介類のコバルト汚染問題
§40 シガテラによる食中毒
§41 先天性代謝異常検査開始
§42 「青年の家」とハブ
§43 全校生徒眼が痛い!?
§44 ソロモンの星の下で
§45 平敷式血液塗末標本処理器
§46 古戦場ガダルカナルで
§47 塩漬け琉球列島
§48 中華料理店症候群
§49 逃げたハブ
§50 タリュウム中毒事件
§51 タバコとハブ
§52 ひよこの特攻隊
§53 アフリカマイマイ
§54 杜総明先生との再会
§55 沖縄にも肺吸虫
§56. 衛研、大里の新天地へ
§57 新庁舎建設委員会
§58 コレラ菌安謝川を汚す
§59 クワズイモのえぐ
§60 ハブ探索犬
§61 目下フンセンチュウ
§62 アスベスト撤去作戦
§63 JICAの研修生受け入れ
§64 久高島にハブ
§65 ヴェロニカ製ろ過装置
§66 のた打ち回る島々
§67 サミット先生のこと
§68 カンボジア沖縄友好の会誕生
§69 アセアンの森
§70 チョウケイの転戦
§71 寝たきり予防
§72 郷土劇 “ゆいまある





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