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吉田朝啓が公衆衛生の最前線「衛生研究所」を舞台に描く、
知られざる戦後・沖縄のリアルな裏面史!


1954年(昭和29年)頃の国際劇場。この名前から、国際通りと呼ばれるようになった。
 吉田朝啓

琉球衛研物語

 Ryukyu Eiken Monogatari 1946~1993

波の上宮。1954年頃。

赤痢、日本脳炎、基地公害、米軍毒ガス移送から、ハブ、性病、アスベスト問題まで、ドクトル吉田朝啓が第五代所長として勤務した「琉球衛生研究所」は、米軍統治を背景に、戦後の沖縄の混乱と復興の中で、ありとあらゆる問題が発生した。ここには、歴史家や、マスコミが取り上げていない、沖縄戦後史に埋もれた特異な陰の部分が横たわっていて、史料的価値が高いばかりか、現代の日米地位協定に基づく、様々な問題と通底していて、見逃せない。
(編集人、サイト制作&運営 樋口謙一)


琉球衛研物語 §56. 
衛研、大里の新天地へ


チョウケイ所長は、照屋寛善医監の部屋のドアをノックした。
照屋先生は県庁から衛研の相談役として
赴任して来られたばかりであったが・・・。

ハブの脱走、動物小屋の騒音や悪臭、
職員や外来客の駐車場問題、狭隘な施設に増大する調査・研究業務、
野外調査地と研究所間の交通の不便さ、その他、
研究所の立地に関する問題は、もう限界を超えていた。

ハブの脱走事件の最中に、勝山君がいみじくも漏らした苦情
「こんな都会のど真ん中に、病原微生物や有害動物を抱える研究所を
立地させたままにするなんて、時代遅れじゃないですか。
どこか、郊外の広いところで、のびのびと研究したいですね」を思い出して、照屋先生に相談申し上げるためである。

照屋先生は、かつて、チョウケイが医者になって沖縄に帰ったときに、
これから後の身の振り方について相談に乗ってくださった先輩であり、
知念朝功副知事と同じく、戦前の師範学校付属小学校、
県立一中の大先輩であり、
現庁舎を建築した第二代所長(1956年~1961年)としても、
衛研の将来について、ご助言を頂くには最適の方である。

「先生、ご覧の通り、衛研はいま、窮屈な思いで、
つま先だって、仕事をしています。
環境保全や公害防止の仕事も今後は増えると思われます。
県庁は、与儀に新築した中央保健所の二階に
研究所を増築して移す計画のようですが、どう思われます?」

「中央保健所って、あの奥まった敷地に建てられた二階建てかね。
君あれはいかんよ。第一、発展性がない。出入りにも不便だし、
やがて増大する新しい課題に対応するスペースがない」。

「でも、主管課では、衛研のために三階・四階の設計図まで
できているようですよ」。

「行政官には、二通りあってね。
先見の明があり、広い視野で物事を進める人と、
余り勉強もしないで、多くの人から情報も集めないまま、
事を進めて予算消化に腐心するタイプがある。
差し詰め、この与儀庁舎案は後者のアイデアだな」

「郊外に出よう。島尻のどっか広いところを探そう」。

「県庁との距離が車で30分前後、
本島各地の現場にも急行できる交通便利なところ、
離島への往来も考えて、那覇空港にも近いところ、
こんな好条件の土地がありますかね」。

「市町村にとって衛研のような上品な公的機関は、
引く手あまただと思うよ。誘致したら、第一、土地柄がよくなる。
農村開発の誘い水になる」。

翌日、照屋先生の示唆を受けて、チョウケイは大里村に飛んだ。
新築移転のための土地探しのためである。

村長室で、衛研の新築移転の話をじっくり聞いた仲間村長は、
すぐさま職員に指示して村会議員の一人A氏を呼んだ。

役場では、村内の中心部分にある「高嶺原」の開発について、
かねてから論議があった模様で、“渡りに船”と、衛研案に飛びついた。

村長とA氏は、その場で英断して、
「この事は、絶対に内部秘密にして、土地の選定については、
地元に任せてほしい。もし、土地ブローカーの耳に入ったら、
計画が立ち枯れになる恐れがある。
あの土地は、戦前大里村役場が立地したこともあり、
村としては、研究所のような県関係の施設を誘致すれば、
それが起爆剤となって、村域全体の開発と活性化につながる。
絶対に成功させたい」と、喜んでくれた。

チョウケイは、もともと首里育ちで商売っ気が無く、
予算とか政治の裏工作には全く自信がない。

村長達の助言通りに、その足で土地開発公社に直行し、
およその計画と今日の経緯を説明し、今後の段取りについて教えを乞うた。

土地開発公社は、県が必要とする土地を
先行取得する予算と権限を持つ県の機関で、ここでも歓迎された。

でも、チョウケイの心中には、モヤモヤした後ろめたさがあった。
県の主管部局に知らせることなく、ここまで先走っていいのだろうか。

土地開発公社からの帰り、
チョウケイは数年前の東京での経験を思い出した。
そして、気持ちを少し楽にすることができた。

東京で、ハブ関係の予算獲得に
主管課の職員と一緒に駆けずり回っていた頃、
“出過ぎたまねをする吉田”という風の声が聞かれたときに、
散々悩んで、郷里の大先輩吉田嗣延さん(沖縄協会)を訪ねたことがる。

「公務員として努力する傍らで、いろいろと波風が立つのですが、・・・」
と悶々とした胸中を申し上げると、
先輩は、「私も長い間公務員を勤めたので、あなたの悩みはよくわかる。
これは職務にとっていい事だと信じたならば、
上司を飛び越えてでも積極的に推進するがいい。
ただし、必ず遅滞なく上司に報告すること。
“報告する部下は信頼できる”という言葉がある」、と諭された。

チョウケイは、早速、
大里村長と土地開発公社との面談の経緯をメモにして、
主管課長に提示し、衛研の新築移転について、善処方を要望した。

所に帰って、照屋先生に報告すると、
「それで行こう。あそこならどんな将来の構想にも対応できるゆとりがある」
と、認めて下さった。


☆郷里の大先輩・吉田嗣延さん(沖縄協会)の写真捜索中


        
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琉球衛研物語
総インデックス
全72セクション・リンク
§1 全国の衛生研究所とその働き
§2 琉球衛生研究所の生い立ち
§3 衛研の庁舎新築
§4 衛研への本土学者の応援
§5 保健婦のためいき
§6 ハブの啼き声
§7 地から湧く日本脳炎
§8 燃える井戸
§9 アルミニューム工場誘致問題
§10 ワシントン条約とサンシン
§11 ホテルに泊まったニシキヘビ
§12 性病Gメン
§13 毒ガス移送問題
§14 米軍PCP汚染事件
§15 沖縄県公衆衛生協会誕生
§16 牛糞をこねる男
§17ゴールデンシャワーとの出会 い
§18 熱帯花木オンパレード
§19 田熱・レプトスピラ症
§20 テイシューが湧く井戸
§21 蚊が死なない
§22 野ネズミが消えた
§23 バガス病
§24 危し宮古島地下水脈
§25 宮古島地下水対策協議会誕生
§26 水納島上陸作戦
§27 ハブとの住み分け大作戦
§28 国場川を埋め尽くす死魚
§29 南大東島水銀事件
§30 ハブの成長曲線
§31 血清銀行
§32 吹きまくる風疹
§33 轟く基地公害
§34 怒る中山貞則長官
§35 MSA対決
§36 毒牙の生え変わり
§37 寄生虫予防協会誕生
§38 多発する赤痢
§39 魚介類のコバルト汚染問題
§40 シガテラによる食中毒
§41 先天性代謝異常検査開始
§42 「青年の家」とハブ
§43 全校生徒眼が痛い!?
§44 ソロモンの星の下で
§45 平敷式血液塗末標本処理器
§46 古戦場ガダルカナルで
§47 塩漬け琉球列島
§48 中華料理店症候群
§49 逃げたハブ
§50 タリュウム中毒事件
§51 タバコとハブ
§52 ひよこの特攻隊
§53 アフリカマイマイ
§54 杜総明先生との再会
§55 沖縄にも肺吸虫
§56. 衛研、大里の新天地へ
§57 新庁舎建設委員会
§58 コレラ菌安謝川を汚す
§59 クワズイモのえぐ
§60 ハブ探索犬
§61 目下フンセンチュウ
§62 アスベスト撤去作戦
§63 JICAの研修生受け入れ
§64 久高島にハブ
§65 ヴェロニカ製ろ過装置
§66 のた打ち回る島々
§67 サミット先生のこと
§68 カンボジア沖縄友好の会誕生
§69 アセアンの森
§70 チョウケイの転戦
§71 寝たきり予防
§72 郷土劇 “ゆいまある





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