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吉田朝啓が公衆衛生の最前線「衛生研究所」を舞台に描く、
知られざる戦後・沖縄のリアルな裏面史!


1954年(昭和29年)頃の国際劇場。この名前から、国際通りと呼ばれるようになった。
 吉田朝啓

琉球衛研物語

 Ryukyu Eiken Monogatari 1946~1993

波の上宮。1954年頃。

赤痢、日本脳炎、基地公害、米軍毒ガス移送から、ハブ、性病、アスベスト問題まで、ドクトル吉田朝啓が第五代所長として勤務した「琉球衛生研究所」は、米軍統治を背景に、戦後の沖縄の混乱と復興の中で、ありとあらゆる問題が発生した。ここには、歴史家や、マスコミが取り上げていない、沖縄戦後史に埋もれた特異な陰の部分が横たわっていて、史料的価値が高いばかりか、現代の日米地位協定に基づく、様々な問題と通底していて、見逃せない。
(編集人、サイト制作&運営 樋口謙一)


琉球衛研物語 §54.
杜総明先生との再会


抗酸球性脳脊髄膜炎を起こす広東住血線虫。

その媒介をするアフリカマイマイがフランスに輸出されて、
パリジェンヌの口に入るとエスカルゴとなって賞味されるという
けったいな話に驚いたが、
肝心な寄生虫検査の方法も十分研修して、
さて、いよいよ明日は高雄から離れるという日。

陳先生が「学長先生に会って下さい」という。
「あ、それもそうだ、挨拶しなきや」と、軽い気持ちでお供した。

高雄医学院は台湾南部に戦後創立された名門私立医科大学である。
亭亭と聳えるダイオウヤシが広いキャンパスを囲んで、
学長室までの距離もかなり遠い。

学長室もかなり広い。
大きなテーブルの向こうに立ち上がって、
歩み寄ってくる学長に最敬礼してから柔らかな握手を受け、
真正面に微笑む学長のお顔を見て、チョウケイはびっくりした。

忘れもしない、数年前、イギリス留学中、
ロンドン大学熱帯医学・衛生学部の部長室に呼ばれて、
そこで引き合わされた老紳士杜総明先生であった。
その杜先生が、今目の前に立っていらっしゃる。

高雄医学院創始者・杜総明先生


1966年、USCARの斡旋で、
ロンドン大学に入学したチョウケイだったが、
講義内容が難しく、下宿生活は侘しく、
気候は寒く、腹は減るし、
全く“ヤーサン、フィーサン、シカラーサン”の毎日を
過ごしていた頃であった。

英国の高級公務員医師の養成コースなので
外国人医師にも呵責のないカリキュラムで、
英語の不自由なチェコ、ポーランド、ユーゴなど東欧からの留学生が
2~3ヶ月で篩い分けられて姿を消すという厳しい課程である。

学部長室に呼ばれて
「あなたは、これからもロンドンで学問を続けるより、
国に帰って本務に専念する方がいいのではないか」などと、
遠まわしに提案されると、もう駄目である。

この学長の慇懃な宣告を理解し得ないで、
「そう言われたがどういう意味なのかね」と、
チョウケイに相談したユーゴスラビアの医師も、
クリスマスまでには消えていた。

そんな頃の学長室からの呼び出しであった。
チョウケイの頭の中は真っ白になった。
「あなたは、こんな寒いロンドンでフィーサンヤーサンの苦労するより、
暖かい琉球に帰って・・・」と、
やんわりと提言されるのではないか。

深呼吸して、学長室に入ると、
とても小柄な、一見アジア人風の老人が手を差し伸べながら
「こんにちは」といった。

学長の説明によると、
「英語が余りお上手ではない様子で、一見日本人のようなので、
あなたを呼んだのです」ということであった。

「私は、台湾の大学教授で杜総明という者です。
若い頃この大学に留学したことがあるので、
懐かしく、寄ってみたのです。お忙しいところ大変ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたします」と、実に流暢な日本語である。

請われるままに、ロンドンスクールの内部を順々に案内した。

やがて薬理学教室の前に来ると「懐かしいですねー、この階段の手すりも、この扉の彫刻も40年前と変わりなく、黒光りしています」と、
目を細めながら感慨深く、歩を進める老学者を案内しながら、
チョウケイは気が気でなかった。

学期末試験が目の前である。
試験の結果次第では、また学長室に呼ばれるかも知れないのだ。

ようやく解放されて、下宿にすっ飛んで帰ったが・・・。
つれなく失礼な対応をしたのではなかったか、と、帰国してからも
じわじわと悔悟の思い出が湧いてくる出会いであった。

あの杜総明先生が、いま目の前に立っていらっしゃる。
台湾の大学教授とだけ、あの時いわれたが、
高雄医学院の学長であられたか。
チョウケイは、万感の思いで、さらに深々と頭を下げた。

杜総明。
台湾の山深い田舎の出身でありながら、幼少の頃からの秀才で、
日本統治時代の小学校、中学校、高等学校、台北帝国大学と進み、
薬理学の教授として多くの日本人学生にも慕われた
温厚篤実な学者である。

沖縄にも恩師と慕う医師が多い。
「私は台湾人として一度も日本人から差別されたこともなく、
日本には満腔の敬意と感謝で一杯です」といわれたのには、
こちらが恐縮してしまった。

杜学長は、しばらく歓談された後、
やおら広いテーブルの前に立ち、傍らの筆を手に、巻紙をサッと広げて、
沈思黙考の後、さらさらと書を認めた。

続けて2~3枚書かれた。
ひん曲がった釘を並べたような難しい字体の書で、
無骨者のチョウケイには、さっぱりその有難さがわからず、
くるくると丸めて、「記念のお土産です」と手渡されても、
ただ在り来たりのお礼を申し上げるばかりであった。

帰り道、陳先生がチョウケイの手を握って
「先生、大変だよ。杜先生は台湾一の書家で、
一幅の掛け軸にしたら、ものすごく高い値段がつきますよ」と囁いた。

「薫風自南来、殿閣生微涼」、「走馬来柳下、・・・」に装丁された
杜先生の書は、毎年の元旦にはチョウケイの家の床の間に飾られる。



        
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琉球衛研物語
総インデックス
全72セクション・リンク
§1 全国の衛生研究所とその働き
§2 琉球衛生研究所の生い立ち
§3 衛研の庁舎新築
§4 衛研への本土学者の応援
§5 保健婦のためいき
§6 ハブの啼き声
§7 地から湧く日本脳炎
§8 燃える井戸
§9 アルミニューム工場誘致問題
§10 ワシントン条約とサンシン
§11 ホテルに泊まったニシキヘビ
§12 性病Gメン
§13 毒ガス移送問題
§14 米軍PCP汚染事件
§15 沖縄県公衆衛生協会誕生
§16 牛糞をこねる男
§17ゴールデンシャワーとの出会 い
§18 熱帯花木オンパレード
§19 田熱・レプトスピラ症
§20 テイシューが湧く井戸
§21 蚊が死なない
§22 野ネズミが消えた
§23 バガス病
§24 危し宮古島地下水脈
§25 宮古島地下水対策協議会誕生
§26 水納島上陸作戦
§27 ハブとの住み分け大作戦
§28 国場川を埋め尽くす死魚
§29 南大東島水銀事件
§30 ハブの成長曲線
§31 血清銀行
§32 吹きまくる風疹
§33 轟く基地公害
§34 怒る中山貞則長官
§35 MSA対決
§36 毒牙の生え変わり
§37 寄生虫予防協会誕生
§38 多発する赤痢
§39 魚介類のコバルト汚染問題
§40 シガテラによる食中毒
§41 先天性代謝異常検査開始
§42 「青年の家」とハブ
§43 全校生徒眼が痛い!?
§44 ソロモンの星の下で
§45 平敷式血液塗末標本処理器
§46 古戦場ガダルカナルで
§47 塩漬け琉球列島
§48 中華料理店症候群
§49 逃げたハブ
§50 タリュウム中毒事件
§51 タバコとハブ
§52 ひよこの特攻隊
§53 アフリカマイマイ
§54 杜総明先生との再会
§55 沖縄にも肺吸虫
§56. 衛研、大里の新天地へ
§57 新庁舎建設委員会
§58 コレラ菌安謝川を汚す
§59 クワズイモのえぐ
§60 ハブ探索犬
§61 目下フンセンチュウ
§62 アスベスト撤去作戦
§63 JICAの研修生受け入れ
§64 久高島にハブ
§65 ヴェロニカ製ろ過装置
§66 のた打ち回る島々
§67 サミット先生のこと
§68 カンボジア沖縄友好の会誕生
§69 アセアンの森
§70 チョウケイの転戦
§71 寝たきり予防
§72 郷土劇 “ゆいまある





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