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吉田朝啓が公衆衛生の最前線「衛生研究所」を舞台に描く、
知られざる戦後・沖縄のリアルな裏面史!


1954年(昭和29年)頃の国際劇場。この名前から、国際通りと呼ばれるようになった。
 吉田朝啓

琉球衛研物語

 Ryukyu Eiken Monogatari 1946~1993

波の上宮。1954年頃。

赤痢、日本脳炎、基地公害、米軍毒ガス移送から、ハブ、性病、アスベスト問題まで、ドクトル吉田朝啓が第五代所長として勤務した「琉球衛生研究所」は、米軍統治を背景に、戦後の沖縄の混乱と復興の中で、ありとあらゆる問題が発生した。ここには、歴史家や、マスコミが取り上げていない、沖縄戦後史に埋もれた特異な陰の部分が横たわっていて、史料的価値が高いばかりか、現代の日米地位協定に基づく、様々な問題と通底していて、見逃せない。
(編集人、サイト制作&運営 樋口謙一)


琉球衛研物語 §53.
アフリカマイマイ


衛生動物室の喜久本室長と田里研究員が
足取りも軽く所長室にやってきた。

普通、厄介な問題を所長室に持ち込むときは、
深刻な顔をするもんだが、二人とも溌剌としている。

「所長、調査協力依頼です」
「ほう、どこから?」
「九州大学です、抗酸球性脳脊髄膜炎の野外調査ということです」
「なに、コーサンキュウセイ?」。

聞きなれない病名だが、
九州大学医学部からの公文書を開くと
「沖縄の農山村に生息しているアフリカマイマイが中間宿主となって、
人間に入ると脳脊髄膜炎を起こす広東住血線虫という寄生虫を
現地調査したい」という趣旨の文面となっている。

「所長、私たちも勉強したいので、是非、一緒に調査したいのですが」
「よし、私も勉強したい、手続きしてくれ」。

間もなく、九大の西村助教授一行がやってきた。
全県的な生物学的、血清学的調査が行われる一方で、
喜久本・田里両研究員は、その調査方法を懸命になって習得した。

直接本土大学の学者の学識に触れることは、
地方衛生研究所の技術職員にとっては、
おいしい幕の内弁当を平らげるようなものである。
欠食児童のように、ガツガツ技術を貪った。

1970年。
2年後に祖国復帰を控えた沖縄では、
本土各大学からの学術的応援が頻りに届けられるようになっていた。

中には、しかし、技術援助の名目でやってきては、
データだけ集めて、さっさと引き上げ、学位論文パスまで
音信不通のままという後始末の悪い事例もあったが、
大方は、地元衛研にしっかりと技術を残し、
地元にはマスコミを通じて、問題の所在を知らしめたり、
対策を示唆したりする真摯な学者が多かった。

広東住血線虫という奇妙な名の虫は、
本来ネズミなどの野生動物にいる糸くずのような虫だが、
ネズミの糞と共に出た卵がアフリカマイマイやナメクジなどの
軟体動物に取り込まれると、中で幼虫となり、
もしこの軟体動物を人間の口から入れると(摂食すると)
今度は幼虫が人の脳の中に入り、
脳脊髄膜炎を起こすという仕掛けになっている。

ところで、この病気を媒介するアフリカマイマイ。
実は、チョウケイ所長が小学生の頃、戦時体制の下、
救荒食品の一部(蛋白源)として台湾から移入され、
飼育、繁殖を奨励された代物である。

木の箱に金網を張って丁寧にサツマイモを与え、
大事に育てた頃を思い出した。
1944(昭和19)年、秋、大里城址公園北側の岩山で、
連日、日本陸軍砲兵隊の陣地構築に学徒動員されて作業している頃、
大里の山はアフリカマイマイだらけだった。

 
カタツムリの親分のような巨きなアフリカマイマイ

足の踏み場もないほど、アフリカマイマイが繁殖・徘徊して、
不気味なほどであったことを昨日のように思い出す。

チョウケイは、田里君を伴って台湾に飛んだ、高雄医学院には、
かつてWHO西太平洋地区寄生虫対策会議で出会った
陳榮林教授が広東住血線虫の研究をしているはずである。

陳先生はにこやかに迎えてくれた。
「ほう、沖縄にもありましたか、
台湾はいまこの病気で悩まされているんですよ」。
流暢な日本語である。
チョウケイと同年だから中学校まで日本語教育を受けている。


広東住血線虫症の疫学調査、指導のために来県の左から大鶴正満教授、陳榮林高雄医学院教授、右端・筆者

「農民が一日何十キロもマイマイを収穫して、工場に持ち込む。
工場はまとめて水で洗って煮沸して後、
肉の部分だけ冷凍してパックするんです。
一日数十トンも箱詰めのマイマイをフランスに輸出するんです」

「フランスに入ると、途端に“エスカルゴ”になるんです」
「フランス料理のエスカルゴ!?」
「そう、エスカルゴの本物の殻に一つずつ詰めて皿に盛れば、
誰もアフリカマイマイとは気づきません」

「なーるほど、輸送中の飛行機の中でエスカルゴに変身か」
「そう、それはいいんですが、ここ台湾で、農民が収穫するとき、
外套膜のヌルヌルが手に着く。ときには、幼児の口に入る。
そして、脳脊髄膜炎があちこちに発生する」

「ナメクジ(アシヒダナメクジ)を生で食べると
喘息が治るという民間療法を信じて丸呑みする人も少なくない」
「ゲーッ」。

陳先生の案内で、“エスカルゴ”生産工場を見学した。
熱湯の釜から揚げられたアフリカマイマイが、砕かれ、分離され、
やがてパックされていく流れ作業が、
濛濛たる蒸気の中で着々と進行していた。

熱湯で処理すれば、線虫は死滅して無害となるから、
衛生学的にはいささかも問題はない。

パリの高級レストランで、本物のエスカルゴの殻から、
爪楊枝でマイマイの肉をほじくって口に入れ、
「セシボン」と目尻を下げるフランスの人々が、
湯煙の向こうに見えるような気がした。

結局、西村助教授らの県庁での記者会見と
その後の衛研・保健所ネットワークによる広報教育によって、
沖縄での患者発生は抑えられた。

が、その後、2000年1月~6月の間に沖縄本島で
9例の広東住血線虫症が発生、
その内1名が死亡するという事態が発生。
再興感染症として注目を浴びた。


        
次のセクション「§54.杜総明先生との再会 」へ




琉球衛研物語
総インデックス
全72セクション・リンク
§1 全国の衛生研究所とその働き
§2 琉球衛生研究所の生い立ち
§3 衛研の庁舎新築
§4 衛研への本土学者の応援
§5 保健婦のためいき
§6 ハブの啼き声
§7 地から湧く日本脳炎
§8 燃える井戸
§9 アルミニューム工場誘致問題
§10 ワシントン条約とサンシン
§11 ホテルに泊まったニシキヘビ
§12 性病Gメン
§13 毒ガス移送問題
§14 米軍PCP汚染事件
§15 沖縄県公衆衛生協会誕生
§16 牛糞をこねる男
§17ゴールデンシャワーとの出会 い
§18 熱帯花木オンパレード
§19 田熱・レプトスピラ症
§20 テイシューが湧く井戸
§21 蚊が死なない
§22 野ネズミが消えた
§23 バガス病
§24 危し宮古島地下水脈
§25 宮古島地下水対策協議会誕生
§26 水納島上陸作戦
§27 ハブとの住み分け大作戦
§28 国場川を埋め尽くす死魚
§29 南大東島水銀事件
§30 ハブの成長曲線
§31 血清銀行
§32 吹きまくる風疹
§33 轟く基地公害
§34 怒る中山貞則長官
§35 MSA対決
§36 毒牙の生え変わり
§37 寄生虫予防協会誕生
§38 多発する赤痢
§39 魚介類のコバルト汚染問題
§40 シガテラによる食中毒
§41 先天性代謝異常検査開始
§42 「青年の家」とハブ
§43 全校生徒眼が痛い!?
§44 ソロモンの星の下で
§45 平敷式血液塗末標本処理器
§46 古戦場ガダルカナルで
§47 塩漬け琉球列島
§48 中華料理店症候群
§49 逃げたハブ
§50 タリュウム中毒事件
§51 タバコとハブ
§52 ひよこの特攻隊
§53 アフリカマイマイ
§54 杜総明先生との再会
§55 沖縄にも肺吸虫
§56. 衛研、大里の新天地へ
§57 新庁舎建設委員会
§58 コレラ菌安謝川を汚す
§59 クワズイモのえぐ
§60 ハブ探索犬
§61 目下フンセンチュウ
§62 アスベスト撤去作戦
§63 JICAの研修生受け入れ
§64 久高島にハブ
§65 ヴェロニカ製ろ過装置
§66 のた打ち回る島々
§67 サミット先生のこと
§68 カンボジア沖縄友好の会誕生
§69 アセアンの森
§70 チョウケイの転戦
§71 寝たきり予防
§72 郷土劇 “ゆいまある





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