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吉田朝啓が公衆衛生の最前線「衛生研究所」を舞台に描く、
知られざる戦後・沖縄のリアルな裏面史!


1954年(昭和29年)頃の国際劇場。この名前から、国際通りと呼ばれるようになった。
 吉田朝啓

琉球衛研物語

 Ryukyu Eiken Monogatari 1946~1993

波の上宮。1954年頃。

赤痢、日本脳炎、基地公害、米軍毒ガス移送から、ハブ、性病、アスベスト問題まで、ドクトル吉田朝啓が第五代所長として勤務した「琉球衛生研究所」は、米軍統治を背景に、戦後の沖縄の混乱と復興の中で、ありとあらゆる問題が発生した。ここには、歴史家や、マスコミが取り上げていない、沖縄戦後史に埋もれた特異な陰の部分が横たわっていて、史料的価値が高いばかりか、現代の日米地位協定に基づく、様々な問題と通底していて、見逃せない。
(編集人、サイト制作&運営 樋口謙一)


琉球衛研物語 §49.  
逃げたハブ


川村研究員の、命がけのハブ研究に感心して、
ハブ飼育小屋に朝な夕な通って、見学したり助言したり、
積極的な傍観者となっていたある日。

隣接する赤十字病院から電話が入った。
「病院の厨房に変なハブが現れた」という。
「変なハブって、どんな?」
「今まで見たこともないハブで、頭の天辺に青い斑紋があるんです」
「ホホウ、そんなハブ見たことも聞いたこともないなあ」
「とにかく、すぐ行きますから、手を出さんで、待ってて下さい」。

チョウケイ所長が受話器を置いて、ハブ飼育小屋に向かおうとしたとき、
ハブの生態学的研究につい最近取り組むようになっていた勝山研究員が、あたふたと階段を駆け上がってきた。

「所長、うちの実験用ハブかも知れません、
いま、チェックしたら一匹足りないんです」
「足りないって、ハブの数は全部確認しているんじゃないの」
「なにしろ、100匹以上もいるもんですから」
「ヒャー、でも、きみ、これは内緒だよ、マスコミに知られたら、
俺が首になる、こないだ着任したばかりだよ、オレ」。

勝山研究員同道の上、赤十字病院に急行した。
病院の傍には、幅4メートルほどの排水溝があり、
県庁や警察や那覇市役所あたりの雨水や生活廃水が
小川のように流れている。

その土手近くに病院の厨房があった。
濡れた厨房の床に、籠で押さえられたハブがいた。

2メートル近い大物で、
三角形の頭の真ん中に直径一センチメートルの円形に
青いペンキが塗られていた。

「明らかにうちの脱走ハブだな」と、渋い顔をして囁くチョウケイ所長に
「間違いありません」と、押し殺したような声で答える勝山研究員。

遠巻きに眺めていた厨房の小母さんたちに、
やおら向き直ったチョウケイ所長「お怪我がなくてなによりです、
どういうハブか持ち帰って調べてみます」と、会釈して、
後は這う這うの態で研究所に帰った。

「おい、勝山、これは重大問題だぞ、
県庁から200メートル、二つの銀行本店から100メートル、
保健所と赤十字病院に隣り 合わせの場所に猛毒のハブを
百匹以上飼っていて、ちょくちょく 脱走させるなんて」。

「脱走は、反省しています、これからは絶対にさせません」
「ですが、こんな都会のど真ん中に、病原微生物や有害動物を抱えた
研究所を置くなんて、時代遅れではないですか」
「どこか、郊外の広々としたところに移して、悠々と研究したいですね」。

勝山の正論を聞きながら、チョウケイ所長は、
日頃から胸に暖めていた夢を思い出していた。

毒蛇や伝染病を扱う衛研全体を、那覇市の郊外の広い処に
新築移転させなければならないことを、
再び痛感するのだった。

そもそも、終戦直後、1950年代、
県内に赤痢や腸チフスが頻発し、防疫体制の不備、
特に衛生科学行政の欠陥をさらけ出すようになり、
米軍からも頻りに指摘されて、琉球政府はいよいよ
衛研の庁舎の建設に着手せざるを得ない状況にあった。

1952年、琉球政府の設立に伴い、
コザ市にあった中央病院内「衛生試験所」は
「琉球衛生研究所」と改称され、オープンした。

本土研究所の機構に準じて細菌部、寄生虫部、血清部、
化学部、臨床病理部とし、庶務担当を置いた。

琉球政府の厚生行政に科学的根拠を提供する琉球唯一の
科学的調査研究機関が新しい理念の下にスタートしたのである。

因みに、衛生研究所という機関は、
先進国ではどんな国にも中央と地方に設置されていて、例えば、
アメリカのC.D.C.(Centers for Disease Control and Prevention)や
イギリスのロンドン・ リンデール研究所を中心とする
全国レベルの研究所ネットワーク(Public Health Laboratories Service)は、世界的にも有名で、世界保健機構(WHO)と協力して、
世界規模の伝染病対策に も貢献している。

日本では、東京にある「国立予防衛生研究所(1960年代)」を頂点とする地方衛生研究所のネットワークが あり、
国や都道府県の衛生行政を科学的にサポートするようになっている。

しかし、琉球列島米国民政府(USCAR)は、
衛研の充実は指示するものの資金は一切出さない。

そのため、琉球政府は、自前の予算で、57年度、1万6千ドル、
58年度、5万6千ドルを支出し、現在の久茂地に
3階建てのビルが完成したのは1960年である。

チョウケイ所長が着任したのは、1970年、
すでに新築・移転してから10年余が経過していたが、
庁舎はまだ使えるし、県庁の膝下にあって
行政としては便利な存在だったのかも知れない。

しかし、県内各地に激増する公害問題、毒蛇咬症や伝染病の問題 、
全県7つの保健所との連携など、多忙を極める業務で、
小さめに設計された庁舎がいよいよ手狭になってきた。

そこへ発生したハブの脱走事件。
なにせ、久茂地界隈は、行政、金融、商業の中心であり、
ハブ一匹現れるはずのない市街地である。


元、衛研のあった辺り。那覇市随一の目抜き通り。現在は、パレットくもじが建っている。
つまり、沖縄でもっとも繁華なこんな場所に、生きたハブ研究のメッカがあったことになる。
(旧衛研の当時の施設外観→「§04衛研への本土学者の応援」)


* 戦後、無秩序に拡大した那覇の街には至る所に緑地や小公園 が散在し、
そこにハブが巣くっていた。
元々のハブ地帯に人間が移り住んだという事情からの成り行きであったが、
那覇市の系統的な「ハブとの住み分け大作戦」によって、
現在は末吉公園、敷名台地、泊北岸墓地地帯など数箇所を残して駆除され、
ハブの被害はゼロである。


次のセクション「§50.タリュウム中毒事件 」へ




琉球衛研物語
総インデックス
全72セクション・リンク
§1 全国の衛生研究所とその働き
§2 琉球衛生研究所の生い立ち
§3 衛研の庁舎新築
§4 衛研への本土学者の応援
§5 保健婦のためいき
§6 ハブの啼き声
§7 地から湧く日本脳炎
§8 燃える井戸
§9 アルミニューム工場誘致問題
§10 ワシントン条約とサンシン
§11 ホテルに泊まったニシキヘビ
§12 性病Gメン
§13 毒ガス移送問題
§14 米軍PCP汚染事件
§15 沖縄県公衆衛生協会誕生
§16 牛糞をこねる男
§17ゴールデンシャワーとの出会 い
§18 熱帯花木オンパレード
§19 田熱・レプトスピラ症
§20 テイシューが湧く井戸
§21 蚊が死なない
§22 野ネズミが消えた
§23 バガス病
§24 危し宮古島地下水脈
§25 宮古島地下水対策協議会誕生
§26 水納島上陸作戦
§27 ハブとの住み分け大作戦
§28 国場川を埋め尽くす死魚
§29 南大東島水銀事件
§30 ハブの成長曲線
§31 血清銀行
§32 吹きまくる風疹
§33 轟く基地公害
§34 怒る中山貞則長官
§35 MSA対決
§36 毒牙の生え変わり
§37 寄生虫予防協会誕生
§38 多発する赤痢
§39 魚介類のコバルト汚染問題
§40 シガテラによる食中毒
§41 先天性代謝異常検査開始
§42 「青年の家」とハブ
§43 全校生徒眼が痛い!?
§44 ソロモンの星の下で
§45 平敷式血液塗末標本処理器
§46 古戦場ガダルカナルで
§47 塩漬け琉球列島
§48 中華料理店症候群
§49 逃げたハブ
§50 タリュウム中毒事件
§51 タバコとハブ
§52 ひよこの特攻隊
§53 アフリカマイマイ
§54 杜総明先生との再会
§55 沖縄にも肺吸虫
§56. 衛研、大里の新天地へ
§57 新庁舎建設委員会
§58 コレラ菌安謝川を汚す
§59 クワズイモのえぐ
§60 ハブ探索犬
§61 目下フンセンチュウ
§62 アスベスト撤去作戦
§63 JICAの研修生受け入れ
§64 久高島にハブ
§65 ヴェロニカ製ろ過装置
§66 のた打ち回る島々
§67 サミット先生のこと
§68 カンボジア沖縄友好の会誕生
§69 アセアンの森
§70 チョウケイの転戦
§71 寝たきり予防
§72 郷土劇 “ゆいまある





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