トップページへ戻る衛研物語について筆者紹介沖縄戦後史年表リンク掲示板お知らせ・更新 mail: chokei@nirai.ne.jp

吉田朝啓が公衆衛生の最前線「衛生研究所」を舞台に描く、
知られざる戦後・沖縄のリアルな裏面史!


1954年(昭和29年)頃の国際劇場。この名前から、国際通りと呼ばれるようになった。
 吉田朝啓

琉球衛研物語

 Ryukyu Eiken Monogatari 1946~1993

波の上宮。1954年頃。

赤痢、日本脳炎、基地公害、米軍毒ガス移送から、ハブ、性病、アスベスト問題まで、ドクトル吉田朝啓が第五代所長として勤務した「琉球衛生研究所」は、米軍統治を背景に、戦後の沖縄の混乱と復興の中で、ありとあらゆる問題が発生した。ここには、歴史家や、マスコミが取り上げていない、沖縄戦後史に埋もれた特異な陰の部分が横たわっていて、史料的価値が高いばかりか、現代の日米地位協定に基づく、様々な問題と通底していて、見逃せない。
(編集人、サイト制作&運営 樋口謙一)


琉球衛研物語 §48.  
中華料理店症候群


那覇保健所から通報が入った。
「観光に来た客が倒れた」という。

「食事の後、部屋に戻ってから気分が悪くなった。
一応、食中毒として調べたいが、症状が不規則らしいので、
衛研も同行してほしい」
「客は何名で、性別、年齢は?」
「若い女性4名」。

若い女性と聞いて、チョウケイは直ぐ席をたってホテルに直行した。
ホテルは沖縄でも一流の豪華ホテル。
食品衛生には普段から厳重管理怠り無い模範的優良施設である。
そんなホテルが食中毒を起こすはずがない!?

食中毒というのは、文字通り食品で中毒する病気。
微生物と化学物質のどちらかが原因だが、
食べてから発症までの時間と症状が参考になる。

化学物質は得てして発病が早く、細菌は調理場で繁殖したり、
腹の中で繁殖したりしてから発病する場合が多いので、
種類によって時間に特徴が出る。

4名の若い女性は2部屋に泊まっていたが、
調査班が訪ねたときは、ややげんなりした顔で対応してくれた。
意外と元気なので、拍子抜けしたが、
疫学調査は衛研の主務の一つだから、慎重に質問する。

「なにか、変わったもの食べましたか」
「普通のバイキング料理ですよ。全部おいしく食べたんですが」
「食べて後、どうなりました」
「2~30分してから、ムカムカしたり、フラフラしたりして」
「熱は?」
「全く平熱ですけど」。

ベテラン食品衛生監視員に、後の聞き取り調査を任せて、
チョウケイはバイキング食堂に下りていった。
保健所の指示で食堂は閉鎖され、
料理はすべてそのままに保全されていた。
いまさら食品のすべてを嗅いで回っても仕様が無い。

食中毒の大半は無味無臭の物質が原因である。
だが、食卓の上に、砂糖入れのようなやや大型の容器が目に入った。
その傍らには普通の砂糖入れが普通に置いてある。

「じゃ、大きい方のこれはなんだ?」。
食堂の係りに訊いたら「調味料ですよ、“Aの素”と同じ」
「ああ、あのグルタミン酸ナトリウム!!」
「味の薄い料理には、お客様がスープに溶かしたり、
振りかけたりして喜んでお使いになります」
「無制限に?」
「そうですね、お客様のさじ加減にお任せしています」。

チョウケイの脳の襞から「中華料理店症候群」という言葉が滲み出てきた。

同時に二つの古い記憶を思い出していた。
一つは、高校生の頃、近くの中国軍の兵舎(首里石嶺町)から
廃棄され払い下げされる残飯とスープである。

戦後の沖縄には連合軍の一員としてなのか、
中華民国(蒋介石)軍とフィリッピン軍が駐留していた。

その兵舎から出る残飯は、業者に払い下げられて、
情けないことながら首里界隈の住民の食卓に流通した。

残飯とスープはすこぶる美味であった。
脳髄が痺れるほど味が濃くて、どの家庭でも水で薄めて
一日分を一週間分に増やすのだった。

兵舎の厨房に勤めている女性たちの話によると、
小型ドラム缶に詰められた粉末状のグルタミン酸ナトリウムが、
スコップで鍋に放り込まれて、中国兵の料理に使われるという。

日本の世界的名品“Aの素”の国際特許が切れて
中国軍が無制限に使い出した頃である。

チョウケイが思い出したもう一つのエピソードは、
ロンドン大学在学中の食品衛生の講義であった。
“英国の食事はまずい”と、一般に言われているが、
田舎にはそれぞれの手料理があって、それぞれにおいしい。

だが、例えば大学の学生食堂の料理は絶望的にまずい。
魚でも肉でもジャガイモでも、ただ水煮して、
食卓にずらり並んだ調味料や香辛料をめいめいが加えて
口にするしきたりである。

そこで、欧米の学生は東洋の味に弱い。
いろいろ試して、そして日本の醤油(Kマン)と
グルタミン酸ナトリウム(Aの素)に出会うと、もう離れられない。

そして大匙一杯をスープに入れて、
その旨みに目を白黒させるのである。

講義で、教授は“日本食堂症候群”と言わずに、
“中華料理店症候群”といった訳が分から なかったが、
薄味の日本食では起こらないことが
中華料理店では起こることが見えてきた。

チョウケイは、若い女性の部屋に行って、申し渡した。
「あなたたちのは、ガチマヤー(餓鬼)症候群というもので、心配ない。
水を飲んで休んでいたら治る。
今後は調味料“Aの素”をほどほどに使うこと!」。


過ぎたるは、及ばざるが如し!調味料は、ほどほどに!



次のセクション「§49.逃げたハブ 」へ





琉球衛研物語
総インデックス
全72セクション・リンク
§1 全国の衛生研究所とその働き
§2 琉球衛生研究所の生い立ち
§3 衛研の庁舎新築
§4 衛研への本土学者の応援
§5 保健婦のためいき
§6 ハブの啼き声
§7 地から湧く日本脳炎
§8 燃える井戸
§9 アルミニューム工場誘致問題
§10 ワシントン条約とサンシン
§11 ホテルに泊まったニシキヘビ
§12 性病Gメン
§13 毒ガス移送問題
§14 米軍PCP汚染事件
§15 沖縄県公衆衛生協会誕生
§16 牛糞をこねる男
§17ゴールデンシャワーとの出会 い
§18 熱帯花木オンパレード
§19 田熱・レプトスピラ症
§20 テイシューが湧く井戸
§21 蚊が死なない
§22 野ネズミが消えた
§23 バガス病
§24 危し宮古島地下水脈
§25 宮古島地下水対策協議会誕生
§26 水納島上陸作戦
§27 ハブとの住み分け大作戦
§28 国場川を埋め尽くす死魚
§29 南大東島水銀事件
§30 ハブの成長曲線
§31 血清銀行
§32 吹きまくる風疹
§33 轟く基地公害
§34 怒る中山貞則長官
§35 MSA対決
§36 毒牙の生え変わり
§37 寄生虫予防協会誕生
§38 多発する赤痢
§39 魚介類のコバルト汚染問題
§40 シガテラによる食中毒
§41 先天性代謝異常検査開始
§42 「青年の家」とハブ
§43 全校生徒眼が痛い!?
§44 ソロモンの星の下で
§45 平敷式血液塗末標本処理器
§46 古戦場ガダルカナルで
§47 塩漬け琉球列島
§48 中華料理店症候群
§49 逃げたハブ
§50 タリュウム中毒事件
§51 タバコとハブ
§52 ひよこの特攻隊
§53 アフリカマイマイ
§54 杜総明先生との再会
§55 沖縄にも肺吸虫
§56. 衛研、大里の新天地へ
§57 新庁舎建設委員会
§58 コレラ菌安謝川を汚す
§59 クワズイモのえぐ
§60 ハブ探索犬
§61 目下フンセンチュウ
§62 アスベスト撤去作戦
§63 JICAの研修生受け入れ
§64 久高島にハブ
§65 ヴェロニカ製ろ過装置
§66 のた打ち回る島々
§67 サミット先生のこと
§68 カンボジア沖縄友好の会誕生
§69 アセアンの森
§70 チョウケイの転戦
§71 寝たきり予防
§72 郷土劇 “ゆいまある





トップページへ戻る衛研物語について筆者紹介沖縄戦後史年表リンク掲示板お知らせ・更新 mail: chokei@nirai.ne.jp 
Copyright © Yoshida Chokei. All Rights Reserved.

inserted by FC2 system