トップページへ戻る衛研物語について筆者紹介沖縄戦後史年表リンク掲示板お知らせ・更新 mail: chokei@nirai.ne.jp

吉田朝啓が公衆衛生の最前線「衛生研究所」を舞台に描く、
知られざる戦後・沖縄のリアルな裏面史!


1954年(昭和29年)頃の国際劇場。この名前から、国際通りと呼ばれるようになった。
 吉田朝啓

琉球衛研物語

 Ryukyu Eiken Monogatari 1946~1993

波の上宮。1954年頃。

赤痢、日本脳炎、基地公害、米軍毒ガス移送から、ハブ、性病、アスベスト問題まで、ドクトル吉田朝啓が第五代所長として勤務した「琉球衛生研究所」は、米軍統治を背景に、戦後の沖縄の混乱と復興の中で、ありとあらゆる問題が発生した。ここには、歴史家や、マスコミが取り上げていない、沖縄戦後史に埋もれた特異な陰の部分が横たわっていて、史料的価値が高いばかりか、現代の日米地位協定に基づく、様々な問題と通底していて、見逃せない。
(編集人、サイト制作&運営 樋口謙一)


琉球衛研物語 §45.  
平敷式血液塗末標本処理器


現在の首都ホニアラの海辺

首都ホニアラの街は、どこが町なのか掴みにくいほど、
豊かなヤシの木立に覆われた散漫な住宅地で、
海岸線に沿って1kmも走ればもう郊外という、
唖然とするほどホニャラホニャラとした居心地のよさそうな町である。

高いビルは一切なく、政府庁舎も保健所も木造の平屋で、
首相も厚生大臣もこの町にいる。

日本大使館もちゃんとあり、WHOも駐在官を置いてあり、
その他、オーストラリア、ニュージランド、ドイツの医療チームも出入りし、
なぜか台湾も病院を建てて上げたりして(5年がかりでなお未完成)、
国際的に人気があり、
国々の母性本能をくすぐるような低開発国なのである。

一行は政府の厚生大臣(男性)にまず表敬訪問。
スカートとサンダル履きの姿に一同びっくりしたが、流暢な英語を話す。
その後、早速マラリア防圧センターを視察した。

衛研所長のチョウケイとしては、やはりセンターの検査設備と
その中で働く人材に一番興味が湧くところである。

ソロモンには熱帯熱マラリアと三日熱マラリアが猛威をふるっている。
その病原体である原虫は、
細菌・ヴィールスのように培養するわけにはいかない。

耳たぶや指先から一滴の血を採り、
スライドガラスの上に薄く塗りつけて、乾燥させ、
水で処理して後、紫色の染色剤で染めてから、
顕微鏡で調べるのである。

この採血・染色・検鏡という一連の作業は、
医師と臨床検査技師に許された医療行為なのだが、
ソロモンでは無資格の“染色屋さん”ともいえる
ベテラン職人が活躍している。

この道30年の、ギームザ染色専門家

古色蒼然とした検査室で、手のひらを紫色に染めた
中年の“染色屋さん”がにっこりと笑って迎えてくれた。
戦後30年間ずっと染色の仕事だけに携わって、
鮮やかに染め上げる技術はソロモン一の超ベテランだといわれている。

大きなプロジェクトが動き、
高度の技術と知識を備えた職員が活躍する陰には、
ソロモンの“染色屋さん”のような専任のベテランが必要である。

車のタイヤのような存在である。これなしでは車は動かない。
そういえば、わが衛研にも超ベテランが何名かおられる。
平敷さん、城間さんである。

フィラリアの検査でもマラリアと同じくスライドグラスに血を薄く塗るが、
何千何百と送られてくるスライドグラスを一枚ずつ並べて乾燥・染色し、
風乾(風を送って乾燥させる)という操作を繰り返すのは大変な労作である。

沖縄のフィラリア防圧で経験されたことだが、
田舎での集団検診の場合、風乾の間に蝿やアブが飛んできて
血液を舐めつくし、数百名の標本を台無しにすることも起こる。

そこで、平敷さんは考えた。
薄いスライドグラスを十把一絡げに固定し、
水洗いから乾燥、染色、風乾をやってのける装置は考えられないか。

年余の試行錯誤の結果、考案されたのは、
後に「小島三郎記念技術賞」を受賞することになる
「平敷式血液塗末標本処理器」である。

さ25cmの板の両端に2本ずつ(計4本)の釘を打ち、
それぞれに鋼鉄製のスプリングを張る。

ただそれだけの器具なんだが、スプリングの隙間がちょうど
スライドグラスの厚さに一致し、釘からスプリングをゆっくり外すと、
数十枚のスライドグラスがしっかりと把持されるのだ。

多数のスライドを把持したまま、スプリングを曲げると、
スライドは扇のように開き、風を通す。
乾燥したらそのまま染色液に浸し、そのまま風乾させて、
顕微鏡へと送ることができる。

中小の診療所や病院では、扱う標本も僅かであるから、
このような多数用の装置は要らない。
だが、大量の血液標本を扱う発展途上国の風土病撲滅キャンペーンでは、抜群の威力を発揮する。

これは、画期的な工夫で、現場で四苦八苦した人でなければ
考え出せないアイデアである。

この平敷式染色器は、まず東京大学の佐々学教授の目にとまり、
先生の推挙で「小島三郎記念技術賞」(1967年4月27日)の対象になり、見事受賞となったのである。
琉球衛生研究所による長年の風土病対策のフルーツとして
金色に輝く成果である。

この名品を早速ソロモンの“染色屋さん”にも紹介し、
使用方法を伝授することにした。



次のセクション「§46.古戦場ガダルカナルで 」へ




琉球衛研物語
総インデックス
全72セクション・リンク
§1 全国の衛生研究所とその働き
§2 琉球衛生研究所の生い立ち
§3 衛研の庁舎新築
§4 衛研への本土学者の応援
§5 保健婦のためいき
§6 ハブの啼き声
§7 地から湧く日本脳炎
§8 燃える井戸
§9 アルミニューム工場誘致問題
§10 ワシントン条約とサンシン
§11 ホテルに泊まったニシキヘビ
§12 性病Gメン
§13 毒ガス移送問題
§14 米軍PCP汚染事件
§15 沖縄県公衆衛生協会誕生
§16 牛糞をこねる男
§17ゴールデンシャワーとの出会 い
§18 熱帯花木オンパレード
§19 田熱・レプトスピラ症
§20 テイシューが湧く井戸
§21 蚊が死なない
§22 野ネズミが消えた
§23 バガス病
§24 危し宮古島地下水脈
§25 宮古島地下水対策協議会誕生
§26 水納島上陸作戦
§27 ハブとの住み分け大作戦
§28 国場川を埋め尽くす死魚
§29 南大東島水銀事件
§30 ハブの成長曲線
§31 血清銀行
§32 吹きまくる風疹
§33 轟く基地公害
§34 怒る中山貞則長官
§35 MSA対決
§36 毒牙の生え変わり
§37 寄生虫予防協会誕生
§38 多発する赤痢
§39 魚介類のコバルト汚染問題
§40 シガテラによる食中毒
§41 先天性代謝異常検査開始
§42 「青年の家」とハブ
§43 全校生徒眼が痛い!?
§44 ソロモンの星の下で
§45 平敷式血液塗末標本処理器
§46 古戦場ガダルカナルで
§47 塩漬け琉球列島
§48 中華料理店症候群
§49 逃げたハブ
§50 タリュウム中毒事件
§51 タバコとハブ
§52 ひよこの特攻隊
§53 アフリカマイマイ
§54 杜総明先生との再会
§55 沖縄にも肺吸虫
§56. 衛研、大里の新天地へ
§57 新庁舎建設委員会
§58 コレラ菌安謝川を汚す
§59 クワズイモのえぐ
§60 ハブ探索犬
§61 目下フンセンチュウ
§62 アスベスト撤去作戦
§63 JICAの研修生受け入れ
§64 久高島にハブ
§65 ヴェロニカ製ろ過装置
§66 のた打ち回る島々
§67 サミット先生のこと
§68 カンボジア沖縄友好の会誕生
§69 アセアンの森
§70 チョウケイの転戦
§71 寝たきり予防
§72 郷土劇 “ゆいまある





トップページへ戻る|衛研物語について|筆者紹介|沖縄戦後史年表|リンク|掲示板|お知らせ・更新 mail: chokei@nirai.ne.jp 
Copyright © Yoshida Chokei. All Rights Reserved.

inserted by FC2 system