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吉田朝啓が公衆衛生の最前線「衛生研究所」を舞台に描く、
知られざる戦後・沖縄のリアルな裏面史!


1954年(昭和29年)頃の国際劇場。この名前から、国際通りと呼ばれるようになった。
 吉田朝啓

琉球衛研物語

 Ryukyu Eiken Monogatari 1946~1993

波の上宮。1954年頃。

赤痢、日本脳炎、基地公害、米軍毒ガス移送から、ハブ、性病、アスベスト問題まで、ドクトル吉田朝啓が第五代所長として勤務した「琉球衛生研究所」は、米軍統治を背景に、戦後の沖縄の混乱と復興の中で、ありとあらゆる問題が発生した。ここには、歴史家や、マスコミが取り上げていない、沖縄戦後史に埋もれた特異な陰の部分が横たわっていて、史料的価値が高いばかりか、現代の日米地位協定に基づく、様々な問題と通底していて、見逃せない。
(編集人、サイト制作&運営 樋口謙一)


琉球衛研物語 §42.  
「青年の家」とハブ


県内には、定期に開かれる個人的なパーティーが無数にある。
同期生や主婦同士のモアイ(頼母子講)まで入れると、
膨大な数となるだろう。

純粋に親睦だけの和気藹々とした集まりもあれば、
大小の政治家の隠れた支援グループであったり、
中小の商売をしている企業家の資金繰りに利用する
私的ミニ金融機関であったりする。

「@@会」は、チョウケイが新しく参加するようになった
親睦パーティーである。
本土から沖縄に赴任しているヤマトンチュ(大和人)とウチナーンチュを
半々に混ぜたチャンプルー的親睦会で、
沖縄の事情を理解してもらうための仕掛けにもなっていて面白い。

任期を過ぎて本社・本省に帰って後も、
“沖縄病”に取り憑かれて“沖縄応援団員”として
交友を続ける知名士も少なくない。

名刺交換が一通り済んで、
県産オリオンビールの乾杯で座がほぐれると、
立食会が賑やかになる。

グラス片手に第十管区海上保安本部の山本さんがチョウケイを掴まえた。パーティーでのチョウケイは衛研の所長というより、
ハブ博士として引っ張りだこである。

「うちは、灯台も管理しているんですが、
大抵は海岸の丘の上ですから、ハブが近寄ってきて
当直の職員に危害を加えないか心配です」と、日ごろの懸念を訴える。

「真昼には現れんでしょうが、
夜は、たとえコンクリートの上でも要注意ですよ」
「職員は皆国家公務員でしょう。
ハブ地帯と分かっていながら研修も受けさせず、
夜間勤務させて、もしものことがあったら、命令権者は訴えられますよ」。

上保安庁がぐっと黙り込んだとき、
それまでチョウケイの傍に来て、じっと話を聞いていた
渡嘉敷島国立青年の家の斉藤さんが語りかけてきた。

「うちは、名だたるハブ生息地渡嘉敷島の丘の上にありますが、
どうしたらいいんでしょうかね」。
メーターはかなり上がっているが、かなり真顔である。
「そうですね。直射日光の当たる地面にはハブは絶対に現れないが、
それでも夜露にしっとりと濡れる頃には、所長室以外は全て要注意!」。

チョウケイは、ヤマトンチュの偉いさんには、
ハブ問題の眼目については、敢えて誇張して説明することにしている。

 
渡嘉敷島阿波連ビーチ


所長室以外と強調したのがミソである。
ウチナーンチュが千年も昔から
当たり前と思い込んでいるハブ咬傷の不幸を、
ヤマトンチュの素直な恐怖心を介して掘り崩そうとするわけである。

「国立青年の家として、全国の若者に施設を開放する場合、
ハブに咬まれて指一本失っても、いまの若者だったら直ぐ提訴するでしょう。もし、死ぬようなことがあれば、これはもう“国会モノ”ですよ。
ハブ地帯のド真ん中に本土並みの感覚で施設を開いて
“さあどうぞ、青年のみなさんいらっしゃい”と招いて、
毒蛇に咬ませるんですから、申し開きできない失態ですよ」。

所長が途端に青くなった。
「ちょっと、ちょっと先生。冗談じゃないですよ。
あの施設は米軍通信隊が使っていたものを
譲り受けて改修したものですよ」。

 国立・渡嘉敷青年の家


「米軍はお国のために死ぬ覚悟できている連中ですから・・・」
「うちは、浜辺に海洋レジャーセンターがあって、
三方向の防風林がこれまたハブ地帯で、
前から問題だと思っていたんですがね」。

「月夜の晩に、水着姿の青年男女が、
浜辺のアダンの蔭で恋を語るとき、
その間にハブが入り込むことは大いにあり得ることですね」。

結局、青年の家は翌年度に予算を計上して、
チョウケイの進言通り延長数百mの防蛇壁を
丘の上の施設と海浜のセンターの周りに建設した。
ウチナンチュの施設管理者にはない敏速さであった。

* 防蛇壁は、現在いろいろなタイプの装置が工夫されている。
衛研ハブ支所の西原・勝山両主任研究員の長年の研究によって、
あらゆる地形や用向きに合わせた壁が使用できるようになった。
壁とはいっても必ずしもコンクリートのような面だけのものではなく、
魚網のような軽量の資材が主に使われる。
一時的な遮断装置から永久的な防壁まで、ごく低廉な費用から高額な費用まで、
自在にデザインできる研究陣の成果は産業界からも高く評価 されている。
「ハブと人間の住み分け」に欠かせない重要な戦術兵器が揃ったことで、
沖縄のハブ対策が大きく前進したといえる。




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琉球衛研物語
総インデックス
全72セクション・リンク
§1 全国の衛生研究所とその働き
§2 琉球衛生研究所の生い立ち
§3 衛研の庁舎新築
§4 衛研への本土学者の応援
§5 保健婦のためいき
§6 ハブの啼き声
§7 地から湧く日本脳炎
§8 燃える井戸
§9 アルミニューム工場誘致問題
§10 ワシントン条約とサンシン
§11 ホテルに泊まったニシキヘビ
§12 性病Gメン
§13 毒ガス移送問題
§14 米軍PCP汚染事件
§15 沖縄県公衆衛生協会誕生
§16 牛糞をこねる男
§17ゴールデンシャワーとの出会 い
§18 熱帯花木オンパレード
§19 田熱・レプトスピラ症
§20 テイシューが湧く井戸
§21 蚊が死なない
§22 野ネズミが消えた
§23 バガス病
§24 危し宮古島地下水脈
§25 宮古島地下水対策協議会誕生
§26 水納島上陸作戦
§27 ハブとの住み分け大作戦
§28 国場川を埋め尽くす死魚
§29 南大東島水銀事件
§30 ハブの成長曲線
§31 血清銀行
§32 吹きまくる風疹
§33 轟く基地公害
§34 怒る中山貞則長官
§35 MSA対決
§36 毒牙の生え変わり
§37 寄生虫予防協会誕生
§38 多発する赤痢
§39 魚介類のコバルト汚染問題
§40 シガテラによる食中毒
§41 先天性代謝異常検査開始
§42 「青年の家」とハブ
§43 全校生徒眼が痛い!?
§44 ソロモンの星の下で
§45 平敷式血液塗末標本処理器
§46 古戦場ガダルカナルで
§47 塩漬け琉球列島
§48 中華料理店症候群
§49 逃げたハブ
§50 タリュウム中毒事件
§51 タバコとハブ
§52 ひよこの特攻隊
§53 アフリカマイマイ
§54 杜総明先生との再会
§55 沖縄にも肺吸虫
§56. 衛研、大里の新天地へ
§57 新庁舎建設委員会
§58 コレラ菌安謝川を汚す
§59 クワズイモのえぐ
§60 ハブ探索犬
§61 目下フンセンチュウ
§62 アスベスト撤去作戦
§63 JICAの研修生受け入れ
§64 久高島にハブ
§65 ヴェロニカ製ろ過装置
§66 のた打ち回る島々
§67 サミット先生のこと
§68 カンボジア沖縄友好の会誕生
§69 アセアンの森
§70 チョウケイの転戦
§71 寝たきり予防
§72 郷土劇 “ゆいまある





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