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吉田朝啓が公衆衛生の最前線「衛生研究所」を舞台に描く、
知られざる戦後・沖縄のリアルな裏面史!


昭和32年ころの嘉手納ロータリー、嘉手納沖映屋上からの眺め
 吉田朝啓

琉球衛研物語

 Ryukyu Eiken Monogatari 1946〜1993

昭和40年代の街頭テレビ中継、沖縄返還協定のニュースを見る

赤痢、日本脳炎、基地公害、米軍毒ガス移送から、ハブ、性病、アスベスト問題まで、ドクトル吉田朝啓が第五代所長として勤務した「琉球衛生研究所」は、米軍統治を背景に、戦後の沖縄の混乱と復興の中で、ありとあらゆる問題が発生した。ここには、歴史家や、マスコミが取り上げていない、沖縄戦後史に埋もれた特異な陰の部分が横たわっていて、史料的価値が高いばかりか、現代の日米地位協定に基づく、様々な問題と通底していて、見逃せない。
(編集人、サイト制作&運営 樋口謙一)


琉球衛研物語 §39. 
魚介類のコバルト汚染問題


1968年、
米軍原子力艦船による佐世保港の放射能汚染問題に端を発し、
沖縄に自由に出入港している米軍原子力艦船の放射能汚染問題が
マスコミに大きく取り上げられ社会問題となったため、
琉球政府は衛研の施設の強化と測定機器の整備を行ない、
測定を開始した。

復帰後は、アメリカ軍の原子力潜水艦がしばしば
那覇港やホワイトビーチに寄航する事情から、国の方針により、
国の委託業務として、県内沿岸水域で、
バックグラウンド放射能調査が実施されるようになった。

衛研には、新進気鋭の物理学学士数名が採用され、
機器も揃えられて態勢は万全である。
中国の核実験の度ごとに雨水、浮遊粉塵、降下煤塵中の放射能測定、
環境中の放射線量率を測定し、そのデータを行政当局に報告する。
骨の折れる仕事を黙々とこなし、マル秘扱いで情報を主管課に届ける。

衛研は、科学的な調査研究を主務とする県庁の出先機関であり、
行政的な判断と対外折衝は主管に委ねなければならない。
事が国の施策に関わることで、
鬼も怖がる放射能の問題の場合はなおさらである。

ところが、1973年、
どこから漏れたか(あるいは新聞記者のスクープか)、
沿岸のシャコ貝やハリセンボンからCo−60が検出されて、
これが新聞紙上で大きく取り上げられたため、県内が揺れた。

県内各地の魚市場が大混乱。小魚まで売れなくなって、大騒動。
公害衛研は主管課の指示で早急に各漁協を通して
魚市場の魚を集め、徹底的に調査測定した。

その結果、市場の魚介類は放射能汚染は全くゼロであることがわかった。
それは当然ともいえる結果で、
もし魚市場の魚介類に一匹でも放射能が見つかれば、
それはもう那覇港やホワイトビーチを遥かに越えて
沖縄県全域の汚染あるいは地球規模の大量被爆をも
疑われる大惨事を意味する。

県の正式の報道によって事態は沈静化し、魚市場も活気を取り戻した。
一般に、放射能による事故や公害は、
他の物質による環境汚染とは違って、恐ろしく人心を撹乱する。

原因(物質)と結果(症状)との間のルートが
普通の追跡方法では確証できないし、
人体の皮膚という防壁を簡単に通り越して、
骨の髄まで到達してしまう強力な害作用は防ぎようがない。

広島・長崎で経験したように、福隆丸が被ったビキニの灰のように、
影響を人体から取り払うことも不可能だし、徐々に命を蝕まれていく。 

チェルノブイリの原子力施設の大爆発によって、
いまだに500万人以上の人たちが放射能を含んだ水・食物を取り入れて
死の恐怖に怯えている事態からも、
人々は放射能に関しては敏感に反応する。

1980年、衛研が新装成った大里の庁舎に移転して間もなく、
今度は、勝連町にあるホワイトビーチに寄航した
米軍の原子力巡洋艦「ロングビーチ」から排出されたと考えられる
放射能がキャッチされ、大問題となった。

衛研は、モニタリングポストを
那覇港とホワイトビーチの海水と海底土に常時設置しているが、
海水系から通常の平均値より3pcsほど高い
放射線が検出されたのである。

県内がまた沸いた。東海岸の魚がまた暴落した。
衛研の放射能調査班が出動した。
水や泥や魚など疑わしい物が片っ端から調べられた。
複雑で時間のかかる解析の結果は逐次主管課に報告され、
最終的に、重大な環境汚染はないとして、広報された。

ところが、同じ年、今度は勝連岬から南東80マイルの洋上で、
ソ連の原子力潜水艦が火災を起こして突然浮上する事故が発生。
県民だけでなく全国民を震撼させたのである。

衛研の宮国・州崎・新城ら放射能調査班は、
急遽、鹿児島県沖まで曳航されるソ連の原潜を追跡しながら
徹夜で放射能漏れをチェックしたり、YS−11に搭乗して、
空間線量の測定に邁進した。

彼らの働きについては、
県民の誰もしらない隠密行動であったが、
チョウケイ所長は手を合わせるように県民に代わって彼らを称えた。
国民の不安は間もなく解消された。

 
原子力潜水艦



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琉球衛研物語
総インデックス
全72セクション・リンク
§1 全国の衛生研究所とその働き
§2 琉球衛生研究所の生い立ち
§3 衛研の庁舎新築
§4 衛研への本土学者の応援
§5 保健婦のためいき
§6 ハブの啼き声
§7 地から湧く日本脳炎
§8 燃える井戸
§9 アルミニューム工場誘致問題
§10 ワシントン条約とサンシン
§11 ホテルに泊まったニシキヘビ
§12 性病Gメン
§13 毒ガス移送問題
§14 米軍PCP汚染事件
§15 沖縄県公衆衛生協会誕生
§16 牛糞をこねる男
§17ゴールデンシャワーとの出会 い
§18 熱帯花木オンパレード
§19 田熱・レプトスピラ症
§20 テイシューが湧く井戸
§21 蚊が死なない
§22 野ネズミが消えた
§23 バガス病
§24 危し宮古島地下水脈
§25 宮古島地下水対策協議会誕生
§26 水納島上陸作戦
§27 ハブとの住み分け大作戦
§28 国場川を埋め尽くす死魚
§29 南大東島水銀事件
§30 ハブの成長曲線
§31 血清銀行
§32 吹きまくる風疹
§33 轟く基地公害
§34 怒る中山貞則長官
§35 MSA対決
§36 毒牙の生え変わり
§37 寄生虫予防協会誕生
§38 多発する赤痢
§39 魚介類のコバルト汚染問題
§40 シガテラによる食中毒
§41 先天性代謝異常検査開始
§42 「青年の家」とハブ
§43 全校生徒眼が痛い!?
§44 ソロモンの星の下で
§45 平敷式血液塗末標本処理器
§46 古戦場ガダルカナルで
§47 塩漬け琉球列島
§48 中華料理店症候群
§49 逃げたハブ
§50 タリュウム中毒事件
§51 タバコとハブ
§52 ひよこの特攻隊
§53 アフリカマイマイ
§54 杜総明先生との再会
§55 沖縄にも肺吸虫
§56. 衛研、大里の新天地へ
§57 新庁舎建設委員会
§58 コレラ菌安謝川を汚す
§59 クワズイモのえぐみ
§60 ハブ探索犬
§61 目下フンセンチュウ
§62 アスベスト撤去作戦
§63 JICAの研修生受け入れ
§64 久高島にハブ
§65 ヴェロニカ製ろ過装置
§66 のた打ち回る島々
§67 サミット先生のこと
§68 カンボジア沖縄友好の会誕生
§69 アセアンの森
§70 チョウケイの転戦
§71 寝たきり予防
§72 郷土劇 “ゆいまある”





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