トップページへ戻る衛研物語について筆者紹介沖縄戦後史年表リンク掲示板お知らせ・更新 mail: chokei@nirai.ne.jp

吉田朝啓が公衆衛生の最前線「衛生研究所」を舞台に描く、
知られざる戦後・沖縄のリアルな裏面史!


昭和32年ころの嘉手納ロータリー、嘉手納沖映屋上からの眺め
 吉田朝啓

琉球衛研物語

 Ryukyu Eiken Monogatari 1946〜1993

昭和40年代の街頭テレビ中継、沖縄返還協定のニュースを見る

赤痢、日本脳炎、基地公害、米軍毒ガス移送から、ハブ、性病、アスベスト問題まで、ドクトル吉田朝啓が第五代所長として勤務した「琉球衛生研究所」は、米軍統治を背景に、戦後の沖縄の混乱と復興の中で、ありとあらゆる問題が発生した。ここには、歴史家や、マスコミが取り上げていない、沖縄戦後史に埋もれた特異な陰の部分が横たわっていて、史料的価値が高いばかりか、現代の日米地位協定に基づく、様々な問題と通底していて、見逃せない。
(編集人、サイト制作&運営 樋口謙一)


琉球衛研物語 §37. 
寄生虫予防協会誕生


戦後、住民の衣食住が、貧しいながらも、
ようやく安定し始めた頃(1950年代)、
食糧についてはまだまだ絶対量が不足して、
農村ではサツマイモを中心とした主食作りが盛んに行われ、
住宅地でも野菜や芋を屋敷内の菜園で生産する家庭が多かった。

当時、衛生的なトイレは無く、みなドラム缶を埋めた青空便所だった。
当然、糞尿の処理が悩みの種となり、当然、畑に還元された。

糞便に寄生虫卵やその幼虫がいると、
畑の土に触れた手足から体の中に入り(十二指腸虫)、
野菜に付着して体に入る(回虫)。
かくして、県内すべての地域で腸内寄生虫が爆発的に蔓延した。

1957年、東京大学伝染病研究所と衛研による共同調査が行われ、
沖縄の農村の寄生虫罹患状況がとても深刻であることが判明した。

大里村内の7部落平均で、糞線虫が10%強、回虫が12%強、
十二指腸虫(鉤虫)が79%、というすさまじさである。

この結果に危機感を覚えて、事を起こした一人の熱血漢が現れた。
当時、薬品会社の社長であった薬剤師の屋嘉勇氏である。

1961年、私財を投じて私設「琉球寄生虫検査所」を設置して、
単独で寄生虫撲滅に乗り出した。
当初から将来の法人化を目指してのスタートであったものの、
沖縄では初の民間団体が運営する公衆衛生事業であり、難渋した。

確実に採算性を上げるための模索をしながら、
着実な運営方針が採られたが、私設検査所の検査料金が、
諸費用を税金で賄う保健所・琉球衛研の公的検査料金(1検体・5セント)と
同価格に設定されたため、採算がとれず、維持運営が困難を極めた。

そこで、屋嘉氏の苦闘を知ったサムライたちが集まった。
前原信勝(内科医師)が指導監督に当たり、
仲地紀良(1960年代琉球衛研所長)が技術指導を担当し、
屋嘉所長以下8名のスタッフが懸命に努力した。

この辺が、屋嘉氏の人柄の然らしむるところである。
無欲恬淡、豪放磊落、まるで西郷さんのように
大らかで朗らかな屋嘉氏の周りに医師、臨床検査技師、報道陣、
朋友知己が参集して、事業を支えた。

関係機関、学校、市町村、婦人会、
その他各種の団体への啓蒙活動にもみな手持ち弁当で応援した。
無報酬のボランティア活動である。 

検査所の職員も薄給にも係わらず奮闘した。
屋嘉氏の燃えるような情熱にみな心酔したのである。

やがて、県の行政当局の配慮もあって、検査料金も適正に改正され、
ようやく運営も機動に乗った1963年7月、
当初の目標通り財団法人沖縄寄生虫予防協会が設立された。

寄生虫対策は、その後、年々活発化し、
東京大学伝染病研究所・長崎大学風土病研究所・鹿児島大学医学部など本土大学、研究所の応援、学術的調査が頻繁に行われた。

学問の空白地帯を許さない学者としての本能のようなエネルギーが
本土大学から注がれたのだが、
戦災の後もなお風土病に苦しむ沖縄を放ってはおれないという
親心が働いての本土学界の衝動でもあったのである。

八重山群島を中心として展開されたマラリア根絶計画、
宮古群島を皮切りに進められたフィラリア根絶計画などは、
そのいずれも琉球政府とUSCAR・日本政府など行政主導型の
風土病対策であったが、
腸内寄生虫病対策は、民間団体の沖縄寄生虫予防協会が主軸となって
主体的に取り組みが始められ、
全県的に“寄生虫ゼロ作戦”と銘うったマスキャンペーンが展開された。

この作戦の特徴は、
@実績があり、一点集中型の事業を自在に展開できる民間団体が中核となったこと、
A明らかな事業目標を大衆に明示し、強力なマスコミの広報能力をフル活用して、派手に大衆の耳目を集中させ得たこと、
B地域の住民組織の末端まで情報を提供し、作戦への主体的な参加を促したこと、
C作戦の実績(寄生虫保有状況の通知〜徹底的駆虫・治療〜健康の実感)が、その他の健康問題への理解と積極的取り組みを育成したこと、
が挙げられる。

沖縄という島国は、台湾ほど大きくはなく、
適当な人口規模百万前後を抱えた行政単位で、
風土病を一掃するには好適なサイズである。

しかも大小の離島に分断されていて、
一つ一つのプロジェクトの効果が短時日のうちに、
目に見える形で、島ごとに実感される便利さがある。

島人がその気になれば、なんでもうまくやれるような民度と雰囲気がある。
この独特の地域特性を活かして成功したのが、
戦後次々と行われた風土病対策である。

寄生虫予防協会は、その後隆々と発展して、
現在、沖縄県総合保健協会となっている。

* 沖縄県総合保健協会:職員総数150名余。財団法人予防医学協会を始め、結核予防会、日本対ガン協会、日本寄生虫予防会の各支部を兼ねている。人間ドック、地域保健、職域保健、学校保健、母子保健、検診後の精密検診など、枢要な事業を着々と実施しており、沖縄県最大の民間法人となっている。その揺籃の時期に衛研が大きく関与したことも強調しておきたい。

 沖縄県総合保健協会



次のセクション「§38.多発する赤痢」へ




琉球衛研物語
総インデックス
全72セクション・リンク
§1 全国の衛生研究所とその働き
§2 琉球衛生研究所の生い立ち
§3 衛研の庁舎新築
§4 衛研への本土学者の応援
§5 保健婦のためいき
§6 ハブの啼き声
§7 地から湧く日本脳炎
§8 燃える井戸
§9 アルミニューム工場誘致問題
§10 ワシントン条約とサンシン
§11 ホテルに泊まったニシキヘビ
§12 性病Gメン
§13 毒ガス移送問題
§14 米軍PCP汚染事件
§15 沖縄県公衆衛生協会誕生
§16 牛糞をこねる男
§17ゴールデンシャワーとの出会 い
§18 熱帯花木オンパレード
§19 田熱・レプトスピラ症
§20 テイシューが湧く井戸
§21 蚊が死なない
§22 野ネズミが消えた
§23 バガス病
§24 危し宮古島地下水脈
§25 宮古島地下水対策協議会誕生
§26 水納島上陸作戦
§27 ハブとの住み分け大作戦
§28 国場川を埋め尽くす死魚
§29 南大東島水銀事件
§30 ハブの成長曲線
§31 血清銀行
§32 吹きまくる風疹
§33 轟く基地公害
§34 怒る中山貞則長官
§35 MSA対決
§36 毒牙の生え変わり
§37 寄生虫予防協会誕生
§38 多発する赤痢
§39 魚介類のコバルト汚染問題
§40 シガテラによる食中毒
§41 先天性代謝異常検査開始
§42 「青年の家」とハブ
§43 全校生徒眼が痛い!?
§44 ソロモンの星の下で
§45 平敷式血液塗末標本処理器
§46 古戦場ガダルカナルで
§47 塩漬け琉球列島
§48 中華料理店症候群
§49 逃げたハブ
§50 タリュウム中毒事件
§51 タバコとハブ
§52 ひよこの特攻隊
§53 アフリカマイマイ
§54 杜総明先生との再会
§55 沖縄にも肺吸虫
§56. 衛研、大里の新天地へ
§57 新庁舎建設委員会
§58 コレラ菌安謝川を汚す
§59 クワズイモのえぐ
§60 ハブ探索犬
§61 目下フンセンチュウ
§62 アスベスト撤去作戦
§63 JICAの研修生受け入れ
§64 久高島にハブ
§65 ヴェロニカ製ろ過装置
§66 のた打ち回る島々
§67 サミット先生のこと
§68 カンボジア沖縄友好の会誕生
§69 アセアンの森
§70 チョウケイの転戦
§71 寝たきり予防
§72 郷土劇 “ゆいまある”





トップページへ戻る|衛研物語について|筆者紹介|沖縄戦後史年表|リンク|掲示板|お知らせ・更新 mail: chokei@nirai.ne.jp 
Copyright © Yoshida Chokei. All Rights Reserved.

inserted by FC2 system