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吉田朝啓が公衆衛生の最前線「衛生研究所」を舞台に描く、
知られざる戦後・沖縄のリアルな裏面史!


昭和32年ころの嘉手納ロータリー、嘉手納沖映屋上からの眺め
 吉田朝啓

琉球衛研物語

 Ryukyu Eiken Monogatari 1946〜1993

昭和40年代の街頭テレビ中継、沖縄返還協定のニュースを見る

赤痢、日本脳炎、基地公害、米軍毒ガス移送から、ハブ、性病、アスベスト問題まで、ドクトル吉田朝啓が第五代所長として勤務した「琉球衛生研究所」は、米軍統治を背景に、戦後の沖縄の混乱と復興の中で、ありとあらゆる問題が発生した。ここには、歴史家や、マスコミが取り上げていない、沖縄戦後史に埋もれた特異な陰の部分が横たわっていて、史料的価値が高いばかりか、現代の日米地位協定に基づく、様々な問題と通底していて、見逃せない。
(編集人、サイト制作&運営 樋口謙一)


琉球衛研物語 §35. 
MSA対決


1970年代。
米軍は沖縄本島中南部西海岸のほとんど全域を占拠して
「基地活動」に余念がない有様だった。

様々な基地公害が頻発し、恩納村、読谷村、嘉手納町、
北谷村、宜野湾市、浦添市の海浜がいろいろ汚染された。

汚染に最初に気づいて声を上げるのは、いつも浜を見つめている漁民で、漁協はその都度、県をつついた。
県の指示を受けて、その都度、衛研が出動する。

漁協からのアピールには、チョウケイはいつも勇みたつ。
なにせ衛研はウマンチュのためにあるようなもんだから。
一番まっとうな暮らしをしている農漁民の役に立つ事例には、
“国士たるを期して”育ったチョウケイは燃えるのである。

ウマンチュとは、“御万人”としばしば訳されるが、
チョウケイは“御真人”と解釈するようにしている。
百・千・万と数えられる人人というより、
真摯に生きているまっとうな人たちとみたいのである。

だから、公衆衛生(御真人の衛生)を専門とするチョウケイの胸の中には、いつもシキン(世間)ウマンチュがあり、
今回はその代表として北谷町の漁協に属する魚臭い人たちを頭に描いた。

北谷町には、米海軍が所管する総合病院がいまでもある。
その近くの海岸で、たびたび魚が死んで浮かぶという異変が、
漁民〜漁協から通報された。

衛研が現場の魚や海水から新しいタイプの(市販されてない)
有機リン系農薬のダースバンを検出した。
米軍基地によるものと断定。

米軍は全面的に認め、基地内海軍病院で
今後は殺虫剤として使用しないと約束。北谷町での一件は落着。

一方、那覇市の海岸で魚釣りを楽しんでいた市民が、
那覇港の出入り口辺りで、やたら魚が死んで浮いているのを
目撃するようになっていた。

特に、米空軍基地(現那覇空港)からの排水溝辺りがひどい。
赤い乳化剤様の液体が流出して拡散している。
衛研の化学陣によって、赤いのはハイドラリックという洗剤で
これは無毒だが、一方の乳化剤はタルコクリーニングという床洗浄剤で
魚毒性ありと断定された。

米軍は素直に改善を約束した。
しかし、海浜汚染事件の大物が、1974年に浦添市で発生した。

牧港川の北に広がる米軍補給基地(MSA=Machinato Service Area;:Camp Kinser)は、ベトナム戦争支援のために
設置され拡大された兵站基地。

キャンプ・キンザーのゲート

“バターから大砲まで”各種軍需物資の補給・営繕や
破損した車両の分解・修理・塗装に当たったが、
なりふり構わず廃油・廃液は海に流し放題。

どす黒く変わり果てた浜を、
それまで無力感に打ちひしがれて見てきた漁民も、
日本復帰前後から権利意識を取り戻し、
漁連を通じてアピールするようになり、
新聞もちょくちょく報道するようになった。

チョウケイは、基地のゲートから正式に入って浜に行くことをせずに、
牧港川河口から海岸伝いに浜を歩いた。事前調査である。

かつて、この辺りには小湾という小さい漁村があって、
幼友達と遊んだ覚えがある。
切れ切れの磯と砂浜が断続的に広がって、魚介類が豊かであった。

だが、いま目の前に広がる浜と磯は、
生き物一つ見当たらない泥と油に覆われた死の世界。
チョウケイは目を見張った。

“国士たるを期す”ことをモットーとして育ったチョウケイは、
このような無茶苦茶な弱いものいじめと、
ふるさと破壊の所業には我慢がならないのである。

懐かしい磯の香りの代わりに、鼻をつく薬品臭、油臭。
きらめいていた潮水の代わりにタイドプールを満たすオレンジ色の液体、
鉛色の汚泥、七色の油膜。

チョウケイは県庁担当課に報告した。
数日後、事の重大さに気づいた県が米軍に抗議した。

MSA当局は、
「浜辺の汚染は、近くを流れる牧港川からの生活廃水中の汚濁物質の長年にわたる蓄積の結果である」と、広報した。

チョウケイはじめ公害担当職員はみなカチンときた。
汚染前の浜の姿はチョウケイが生き証人として熟知している。
かつて、「マチナトゥアングワターヤー(牧港の娘たちは)
シラセースクインディ(白手長エビを掬おうと)
ハシヌシチャウリトティ(橋の下に降りて)・・・」と
歌にも唄われた清らかな川は残念ながら今は確かに汚い。 

牧港川上流からの汚染が無いわけではないが、
死の浜となった主因は基地である。
米軍をギャフンといわせる策を考えた。

それには、司令官とか県庁の行政官とか、それぞれ立場があって、
率直にものが言えないお偉方は“抜きにして”、
科学陣だけのチームを作ろうと提案した。

これには米軍も賛成。
現場の技術陣だけの「沖米環境汚染合同調査委員会」がスタートした。

ロンドン留学直後のチョウケイにとって
英語で米人技術者と科学情報をやり取りするのに支障はなかった。

MSA前面に広がる浜と磯の地図に方形区画(コドラート)をかぶせて、
主なる汚染指標物質の濃度測定をしようと提案。
汚染物質の拡散は、汚染源からの距離の二乗に反比例して
濃度を下げていく。

分析値の濃度勾配は、見事に放射状になって、
歴然とMSAの排水溝からの流出だということを立証してくれた。

「この濃度勾配が目に入らぬか!」と、地図を突きつけられたMSA係官も、ついには “Hats off to you “といって脱帽した。

衛研公害室大田室長ほか技術職員のコツコツ分析した膨大な資料が
モノをいった一瞬であった。

しかし、相手に脱帽させただけでは解決にはならない。
問題は浜に蓄積された汚染物資をこれからどうするかである。

なにしろ、軍需物資から出る化学薬品にどういうものがあるのか、
なにをどう使って、どう廃棄したのか、
基地内法規も作業様態も知らされてないのだ。

浜から検出された化学物質の中には、エンジンからの鉛、砒素、
鍍金工場からの6価クロム、様々な殺虫剤、枯葉剤、などがある。

「民間には民間のルールがあって、
事後処理も安心して業者に任せられるが、
軍事基地は軍事基地のルールがあるはずだし、
兎に角、元の清浄な浜辺を復元して欲しい」と、要望を申し述べて
「沖米環境汚染合同調査委員会」を閉じた。

もっと上部の行政判断を必要とする事項には、
衛研所長の分際では関われないのだ。

その後、汚染物質がすっかり取り払われ、
白い浜砂が大量に運び込まれて、タコやイカや魚介類が戻り、
アオサなどの海草も茂るようになったことは周知の通りであるが、
汚染物質が広い米軍基地内のどこかに運ばれて、
どのように埋められたのか、周知でないのは気がかりである。




次のセクション「§36.毒牙の生え変わり」へ




琉球衛研物語
総インデックス
全72セクション・リンク
§1 全国の衛生研究所とその働き
§2 琉球衛生研究所の生い立ち
§3 衛研の庁舎新築
§4 衛研への本土学者の応援
§5 保健婦のためいき
§6 ハブの啼き声
§7 地から湧く日本脳炎
§8 燃える井戸
§9 アルミニューム工場誘致問題
§10 ワシントン条約とサンシン
§11 ホテルに泊まったニシキヘビ
§12 性病Gメン
§13 毒ガス移送問題
§14 米軍PCP汚染事件
§15 沖縄県公衆衛生協会誕生
§16 牛糞をこねる男
§17ゴールデンシャワーとの出会 い
§18 熱帯花木オンパレード
§19 田熱・レプトスピラ症
§20 テイシューが湧く井戸
§21 蚊が死なない
§22 野ネズミが消えた
§23 バガス病
§24 危し宮古島地下水脈
§25 宮古島地下水対策協議会誕生
§26 水納島上陸作戦
§27 ハブとの住み分け大作戦
§28 国場川を埋め尽くす死魚
§29 南大東島水銀事件
§30 ハブの成長曲線
§31 血清銀行
§32 吹きまくる風疹
§33 轟く基地公害
§34 怒る中山貞則長官
§35 MSA対決
§36 毒牙の生え変わり
§37 寄生虫予防協会誕生
§38 多発する赤痢
§39 魚介類のコバルト汚染問題
§40 シガテラによる食中毒
§41 先天性代謝異常検査開始
§42 「青年の家」とハブ
§43 全校生徒眼が痛い!?
§44 ソロモンの星の下で
§45 平敷式血液塗末標本処理器
§46 古戦場ガダルカナルで
§47 塩漬け琉球列島
§48 中華料理店症候群
§49 逃げたハブ
§50 タリュウム中毒事件
§51 タバコとハブ
§52 ひよこの特攻隊
§53 アフリカマイマイ
§54 杜総明先生との再会
§55 沖縄にも肺吸虫
§56. 衛研、大里の新天地へ
§57 新庁舎建設委員会
§58 コレラ菌安謝川を汚す
§59 クワズイモのえぐ
§60 ハブ探索犬
§61 目下フンセンチュウ
§62 アスベスト撤去作戦
§63 JICAの研修生受け入れ
§64 久高島にハブ
§65 ヴェロニカ製ろ過装置
§66 のた打ち回る島々
§67 サミット先生のこと
§68 カンボジア沖縄友好の会誕生
§69 アセアンの森
§70 チョウケイの転戦
§71 寝たきり予防
§72 郷土劇 “ゆいまある”





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