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吉田朝啓が公衆衛生の最前線「衛生研究所」を舞台に描く、
知られざる戦後・沖縄のリアルな裏面史!


昭和32年ころの嘉手納ロータリー、嘉手納沖映屋上からの眺め
 吉田朝啓

琉球衛研物語

 Ryukyu Eiken Monogatari 1946〜1993

昭和40年代の街頭テレビ中継、沖縄返還協定のニュースを見る

赤痢、日本脳炎、基地公害、米軍毒ガス移送から、ハブ、性病、アスベスト問題まで、ドクトル吉田朝啓が第五代所長として勤務した「琉球衛生研究所」は、米軍統治を背景に、戦後の沖縄の混乱と復興の中で、ありとあらゆる問題が発生した。ここには、歴史家や、マスコミが取り上げていない、沖縄戦後史に埋もれた特異な陰の部分が横たわっていて、史料的価値が高いばかりか、現代の日米地位協定に基づく、様々な問題と通底していて、見逃せない。
(編集人、サイト制作&運営 樋口謙一)


琉球衛研物語 §32.
吹きまくる風疹


1965年、琉球列島を一つの嵐が吹きまくった。
風疹(三日はしか)の大流行である。

その前、1963年から翌1964年にかけて、
アメリカ本国で20年来の風疹の大流行があり、
およそ2万人の先天性風疹障害児が発生し、
世界的に報道されたばかりである。

1964年の秋頃から沖縄でも
少しずつ増え始めた風疹の患者がやがて急速に増えていき、
1965年に至り、延べ2千人の感染者を出すようになった。

風疹というのは、三日麻疹と呼ばれるように、
子供の頃に軽く罹る伝染病で、
目がショボショボして、ぼっぺたが赤くなり、
微熱が出たりしているうちにいつの間にか解熱し治っていくという
ビールス性のありふれた感染症である。

一旦風疹に罹って治癒すれば、二度と罹らないし、後遺症も残らない。
だから、むしろさっさと罹って永久免疫をもらったほうがいいと、
考える向きもあった。

ところが、それは、生れ落ちて後の子供や大人が罹った場合であって、
生れ落ちる前、つまり妊娠期間中の胎児に罹ると大変である。

特に、妊娠初期(1〜3ヶ月)のお母さんが風疹に感染し、
ビールスが臍の緒を通って胎児に行くと、
色々ととんでもない障害を引き起こす。

建設途中のビルの現場に入り込んだ暴力団のように、
まず、風疹ビールスは両眼の網膜を壊す。
先天性の視力障害だ。ときに全盲となる。

あるいは、心臓を壊す。
耳に入り込んで聴覚障害ときに聾唖をもたらす。
このような症状を一つ、二つ、または三つ揃いで起こすものだから、
先天性の風疹症候群として恐れられるのだ。

1965年、丁度日本政府総理府派遣沖縄学童検診斑として
沖縄に往来していた九州大学医学部の植田教授が、
2千人の風疹罹患者から多くの先天性風疹障害児が
生まれる可能性が大きいと予見した。

そして、その予見は不幸にして的中した。
一回の大流行によって、風疹症候群を持った子供“風疹児”が
なんと600名以上も産まれてしまったのである。
これは予防医学の敗北である。

妊娠可能年齢(15歳〜45歳)の女性が
結婚前あるいは受胎計画前に血清の中の抗体を調べて、
もし無免疫状態であれば、ワクチン接種か妊娠計画の調整によって
先天性風疹症候群の予防は可能である。

1960年代の琉球政府には、
風疹の胎児に及ぼす甚大な影響について備える余力はなかったのだろう。
嵐が吹き荒れて、その後に産まれた数百名の風疹児を抱えて、
沖縄全体が驚愕した。

戦前には聞いたこともない疫病の後遺症の大量発生である。
米軍の軍人・軍属・家族を通して、
アメリカ産のすごいビールスが持ち込まれたのではないか。

喧々諤々、憶測が飛び交って、世論が沸いた。
政府は、風疹を中心とする小児感染症に詳しい
九州大学医学部小児科学の植田教授を顧問に頂き、
急遽風疹対策を発進させたのだが、・・・・。

数百名の先天性風疹障害(児)をどうするか。
そして、二度と同じ風疹の嵐に巻き込まれないためにはどうしたらいいか。医療行政の大きな課題となった。

障害を持った風疹児に対しては、
まず両親に養育費を提供しなければならない。
そして、障害の種類と程度に応じて特殊教育を用意しなければならない。

そのためには、特殊教育を行う専門教師を養成しなければならない。
そしてそのための特殊教室も設けなければならない。

こうして、一発の風疹流行によって負担せざるを得なかった特殊予算は、
実に@@億円となり、琉球政府の懐ではどうにもならず、
結局日本政府の援助に頼ることになった。

いま、その当時産まれた障害児たちは、
成長して30歳〜40歳台の働き手となっているはず。

予防医学を専門とするチョウケイの脳裏に
いつまでも残る澱として、思い浮かべられるが、
その後に採られた日本全国の風疹予防対策としての
ワクチン接種が功を奏して風疹児ゼロの状態を
続けている現状に胸を撫で下ろしている。

『予防医学に使う予算をケチれば、
その数倍〜数百倍の金をかけて修復しなければならない
災害が襲い掛かることもある』という鉄則をときどき思い出す。



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琉球衛研物語
総インデックス
全72セクション・リンク
§1 全国の衛生研究所とその働き
§2 琉球衛生研究所の生い立ち
§3 衛研の庁舎新築
§4 衛研への本土学者の応援
§5 保健婦のためいき
§6 ハブの啼き声
§7 地から湧く日本脳炎
§8 燃える井戸
§9 アルミニューム工場誘致問題
§10 ワシントン条約とサンシン
§11 ホテルに泊まったニシキヘビ
§12 性病Gメン
§13 毒ガス移送問題
§14 米軍PCP汚染事件
§15 沖縄県公衆衛生協会誕生
§16 牛糞をこねる男
§17ゴールデンシャワーとの出会 い
§18 熱帯花木オンパレード
§19 田熱・レプトスピラ症
§20 テイシューが湧く井戸
§21 蚊が死なない
§22 野ネズミが消えた
§23 バガス病
§24 危し宮古島地下水脈
§25 宮古島地下水対策協議会誕生
§26 水納島上陸作戦
§27 ハブとの住み分け大作戦
§28 国場川を埋め尽くす死魚
§29 南大東島水銀事件
§30 ハブの成長曲線
§31 血清銀行
§32 吹きまくる風疹
§33 轟く基地公害
§34 怒る中山貞則長官
§35 MSA対決
§36 毒牙の生え変わり
§37 寄生虫予防協会誕生
§38 多発する赤痢
§39 魚介類のコバルト汚染問題
§40 シガテラによる食中毒
§41 先天性代謝異常検査開始
§42 「青年の家」とハブ
§43 全校生徒眼が痛い!?
§44 ソロモンの星の下で
§45 平敷式血液塗末標本処理器
§46 古戦場ガダルカナルで
§47 塩漬け琉球列島
§48 中華料理店症候群
§49 逃げたハブ
§50 タリュウム中毒事件
§51 タバコとハブ
§52 ひよこの特攻隊
§53 アフリカマイマイ
§54 杜総明先生との再会
§55 沖縄にも肺吸虫
§56. 衛研、大里の新天地へ
§57 新庁舎建設委員会
§58 コレラ菌安謝川を汚す
§59 クワズイモのえぐ
§60 ハブ探索犬
§61 目下フンセンチュウ
§62 アスベスト撤去作戦
§63 JICAの研修生受け入れ
§64 久高島にハブ
§65 ヴェロニカ製ろ過装置
§66 のた打ち回る島々
§67 サミット先生のこと
§68 カンボジア沖縄友好の会誕生
§69 アセアンの森
§70 チョウケイの転戦
§71 寝たきり予防
§72 郷土劇 “ゆいまある”





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