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吉田朝啓が公衆衛生の最前線「衛生研究所」を舞台に描く、
知られざる戦後・沖縄のリアルな裏面史!


基地内の墓所へフェンスの外から遥拝する光景が復帰後も続いている
 吉田朝啓

琉球衛研物語

 Ryukyu Eiken Monogatari 1946〜1993

本土復帰までの日数を告げる琉球政府の掲示板

赤痢、日本脳炎、基地公害、米軍毒ガス移送から、ハブ、性病、アスベスト問題まで、ドクトル吉田朝啓が第五代所長として勤務した「琉球衛生研究所」は、米軍統治を背景に、戦後の沖縄の混乱と復興の中で、ありとあらゆる問題が発生した。ここには、歴史家や、マスコミが取り上げていない、沖縄戦後史に埋もれた特異な陰の部分が横たわっていて、史料的価値が高いばかりか、現代の日米地位協定に基づく、様々な問題と通底していて、見逃せない。
(編集人、サイト制作&運営 樋口謙一)


琉球衛研物語 §26.
水納島上陸作戦


日本復帰(1972)が目の前に迫り、
さらに5年後に国際海洋博覧会が沖縄振興開発の起爆剤として
沖縄本島北部の本部半島で開催されることが決まった。

その頃から、
本土資本による土地買占めが怒涛のように沖縄に押し寄せる。
本部半島の海や山、名護市の南と北・恩納村の海岸、
さらに宮古、八重山のビーチというビーチは、軒並み狙い打ちされて、
「@@開発用地」の立て看板が並ぶようになった。

国の事業が決まって、国の予算が地方に降りる段階で、
一連の権益に吸い寄せられるように中央の企業が地方を荒らしまくり、
中央各界の大物がゴッツイ名刺を手にして幅を利かせる。
そのような図柄が新聞などに報道されるたびに、専門分野ではない身で、
ただ苦々しい思いに駆られるだけのチョウケイであったが。

その頃、衛研の新米所長チョウケイの耳に
聞き捨てならない風聞が届いた。
海洋博覧会用地に指定された本部半島南岸は、名だたるハブ地帯。

そのハブの駆除作戦を
本土の大学研究機関に委託することになったという話である。
これには、心底、チョウケイはムカッときた。

地元には曲がりなりにも琉球衛生研究所という
調査研究を主務とする機関がある。
しかも、かなり前から数百匹のハブも飼育して、
生態学やハブの駆除に関する実践的な研究もこつこつと続けている。

それを、頭越しに、なんぞや、ハブの実害も受けたこともない
本土の学者に頼まなければならない理由がどこにある!?
仮令、学理の上で、本土学者が上位にあっても、
末永くハブの被害から沖縄県民を守らなければならない立場の
衛研の足腰を鍛える意味でも、地元に委ねるべきではないか。

「その件だったら、是非、わが方に任せてほしい」と、
チョウケイは、早速、海洋博管轄当局に捻じ込んだ。
“国士たるを期す”なんて発奮して、幼少の頃から正義人道に関して
敏感に育てられたチョウケイは、
理不尽な事に関しては、黙っておれない性分で、
その上、カーッときたら直ぐ態度に表す直情径行の癖がある。

目を白黒させていた係官も、必死に食い下がるチョウケイの剣幕に、
かすかな条理を認めたのか、上司に相談するとだけ約束してくれた。

役人にも立場上の言い分はあろう。
世界中の人を呼ぶ博覧会。
その足元に猛毒で知られるハブがウロチョロするようでは、国辱ものである。

一発咬まれたら、即、国際問題。だから、慎重を期して
日本最高の医動物学者に頼む。と、まあ、考えの筋は理解できるが、
ハブの毒に関する化学・生理学的な業績ならともかく、
ハブと人間の間の関係を整理して、咬まれないための実践的な研究、
公衆衛生学的な広い視野に立った調査研究を、
かつて日本の学者が手がけたことがあるか。
ないのである。

戦後ようやくにして、
照屋寛善博士によるハブ咬傷の疫学に関する研究が完成し、
その広範な研究によって、誰が、いつ、どこで、ハブに咬まれて、
どうなったかという疫学的な事実が判明したばかりである。

駆除に関して本土学者がやったことは、
インドからマングースを導入して(1910年)、
ヤマチラカシタだけではないかと、チョウケイは心の中で息巻いた。

後日、県庁を通じて海洋博会場予定地のハブ問題は、
衛研に一任するという連絡を受けて、一件落着。
早速、ハブ支所の福間所長がリーダーとなって、海洋博会場予定地で、
工事前、工事中、工事後のハブ捕獲と調査が開始された。

大見得を切って国レベルの仕事を引き受けたのだから、
失敗は許されない。研究所としての沽券と面目もある。

福間支所長は、ハブの抗毒素に関しては沖縄一の研究者。
その彼が、今度は生身のハブを扱う生態学分野(一定区域内のハブ駆除)に並々ならぬ熱意を傾注して、努力した結果、なんと、
1973年からの3年間に大小300匹(プラス土木業者による150匹)以上のハブを捕獲したのである。
この大戦果に新聞も大いに報道してくれて、
衛研ここにありと、評価が高まった。

その一方で、チョウケイ所長は、
ハブ駆除方法論の確立のための実験場としての可能性を調査するため、
密かに、本部半島海洋博会場の沖に浮かぶ水納島に上陸していた。

水納島


琉球列島のハブの分布に関する高良鉄夫博士の理論からいえば、
本部半島からはるか10km沖の小島にハブが生息するはずがない。
海抜わずか10mの砂地の島は、ハブの分布が定まってから後の時代に
浮上してできた典型的な隆起珊瑚礁の陸地である。

それが、なぜかいま、住民の数よりも多いハブの生息地である。
これについても、高良博士は推理して、「隣の瀬底島の農民が無人島の水納島に“通勤農業”している間に、間違ってキビの束などと一緒にたびたびハブを運び込んでしまった」という可能性と、
「洪水の際に、本部港に注ぐ満名川を流下した倒木に乗ったハブが海を渡り、島に上陸した」という可能性を示唆した。

いずれにしても、いま、水納島はハブが大繁盛していて、
朝夕は、それこそ“足の踏み場もないほど”、おっかない状況である。

島には、ネズミはいないが、トカゲや昆虫など
幼いハブの餌となる小動物は豊富だし、鳥類も多い。
地形は、馬蹄形の陸地に岩山もなく、
島の海岸端に茂る防風林だけがハブの巣になっていて、
これほどシンプルで小規模なハブ生息地は外にはない。

海洋博の話の前から、この島が将来ハブ駆除実験場として
最適だということを見込んでチョウケイ所長は下調べをしていたのである。

ところが、この島にも海洋博の大きなうねりが押し寄せていた。
東西1キロにも足りない小さな島の畑が、
点々と本土企業に買い占められていて、
さながら虫食いだらけの木の葉のようである。
シマチャビ(過疎と貧困の状況)に喘ぐ島人が次々と島を離れていった
その不在地主が狙われたのである。


沖縄開発庁職員も加わるようになった水納島実地踏査団(左から2人目、筆者)

一定の地域からハブを条件つきで一掃するための
技法を追及するという考えと、同時に、心の底には、土地ブローカーから、
この珠玉のような可愛い水納島を守りたいという一念が交錯して、
チョウケイは週末には一人で島に渡る日が多くなった。

研究心と義侠心と、例の「国士たるを期す」という稚気稚気蛮蛮が、
心中ゴッチャになって、まるで夢遊病者のように歩いた。
いかにもヤマトンチュ風情の男が、部落の内外、小中学校周辺、
さらには防風林の裏表までウロチョロしたものだから、
遂に、ある日、大城康男区長に捕まってしまった。

「なにか、島に用事ですか」。
鎌を手に持った区長が迫ってきたので、チョウケイはちょっと怯んだが、
いつまでも名乗らないで島を彷徨っていてはならないと思い、
密かに抱いていた構想を打ち明けた。

実は、ハブの研究に携わっている衛研の所長であること、
海洋博覧会の影響で、俄かに本部半島周辺が騒がしくなっているが、
海洋博予定地のハブ対策を進める傍ら、
本格的にハブ駆除実験をしたいと考え、水納島に白羽の矢を立てて、
こうして島中を歩いていること、いろいろと熱を込めて説明した。

大城区長は相好を崩して喜んだ。自宅に案内され、話しているうちに、
昭和6年生まれの同年生ということも分かり、
意気投合して、お茶と黒糖も出るようになった。

その日は一旦は那覇に帰ることにしたが、
チョウケイ所長は当面のハブ掃討作戦の展開と
それを理論的に支えるハブ駆除方法論の確立へ向けて
一歩前進したことに自信を得て、
ポンポン船の上でもご満悦で、自然と唄も出た。
「一日一歩、三日に三歩。三歩進んで二歩退がる」
「人生はワンツーパンチ・・・」。



次のセクション「§27.ハブとの住み分け大作戦」へ




琉球衛研物語
総インデックス
全72セクション・リンク
§1 全国の衛生研究所とその働き
§2 琉球衛生研究所の生い立ち
§3 衛研の庁舎新築
§4 衛研への本土学者の応援
§5 保健婦のためいき
§6 ハブの啼き声
§7 地から湧く日本脳炎
§8 燃える井戸
§9 アルミニューム工場誘致問題
§10 ワシントン条約とサンシン
§11 ホテルに泊まったニシキヘビ
§12 性病Gメン
§13 毒ガス移送問題
§14 米軍PCP汚染事件
§15 沖縄県公衆衛生協会誕生
§16 牛糞をこねる男
§17ゴールデンシャワーとの出会 い
§18 熱帯花木オンパレード
§19 田熱・レプトスピラ症
§20 テイシューが湧く井戸
§21 蚊が死なない
§22 野ネズミが消えた
§23 バガス病
§24 危し宮古島地下水脈
§25 宮古島地下水対策協議会誕生
§26 水納島上陸作戦
§27 ハブとの住み分け大作戦
§28 国場川を埋め尽くす死魚
§29 南大東島水銀事件
§30 ハブの成長曲線
§31 血清銀行
§32 吹きまくる風疹
§33 轟く基地公害
§34 怒る中山貞則長官
§35 MSA対決
§36 毒牙の生え変わり
§37 寄生虫予防協会誕生
§38 多発する赤痢
§39 魚介類のコバルト汚染問題
§40 シガテラによる食中毒
§41 先天性代謝異常検査開始
§42 「青年の家」とハブ
§43 全校生徒眼が痛い!?
§44 ソロモンの星の下で
§45 平敷式血液塗末標本処理器
§46 古戦場ガダルカナルで
§47 塩漬け琉球列島
§48 中華料理店症候群
§49 逃げたハブ
§50 タリュウム中毒事件
§51 タバコとハブ
§52 ひよこの特攻隊
§53 アフリカマイマイ
§54 杜総明先生との再会
§55 沖縄にも肺吸虫
§56. 衛研、大里の新天地へ
§57 新庁舎建設委員会
§58 コレラ菌安謝川を汚す
§59 クワズイモのえぐ
§60 ハブ探索犬
§61 目下フンセンチュウ
§62 アスベスト撤去作戦
§63 JICAの研修生受け入れ
§64 久高島にハブ
§65 ヴェロニカ製ろ過装置
§66 のた打ち回る島々
§67 サミット先生のこと
§68 カンボジア沖縄友好の会誕生
§69 アセアンの森
§70 チョウケイの転戦
§71 寝たきり予防
§72 郷土劇 “ゆいまある”





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