トップページへ戻る衛研物語について筆者紹介沖縄戦後史年表リンク掲示板お知らせ・更新 mail: chokei@nirai.ne.jp

吉田朝啓が公衆衛生の最前線「衛生研究所」を舞台に描く、
知られざる戦後・沖縄のリアルな裏面史!


基地内の墓所へフェンスの外から遥拝する光景が復帰後も続いている
 吉田朝啓

琉球衛研物語

 Ryukyu Eiken Monogatari 1946〜1993

本土復帰までの日数を告げる琉球政府の掲示板

赤痢、日本脳炎、基地公害、米軍毒ガス移送から、ハブ、性病、アスベスト問題まで、ドクトル吉田朝啓が第五代所長として勤務した「琉球衛生研究所」は、米軍統治を背景に、戦後の沖縄の混乱と復興の中で、ありとあらゆる問題が発生した。ここには、歴史家や、マスコミが取り上げていない、沖縄戦後史に埋もれた特異な陰の部分が横たわっていて、史料的価値が高いばかりか、現代の日米地位協定に基づく、様々な問題と通底していて、見逃せない。
(編集人、サイト制作&運営 樋口謙一)


琉球衛研物語 §25.
「宮古島地下水対策協議会」誕生


砂山所長の決断は早かった。

なにしろ囲碁5段の腕前。局面を見て、
その末に起こる事態を予見する能力は抜群である。

衛研化学斑との共同調査斑が結成され、岩盤に穴を開け、
蛍光色素フルオレッスンスを流し込み、
崖下の湧水から出る色素の監視を続け、
地元新聞を通じて問題の所在と重大性について解説し、
ついに、水源地への牧場誘致計画を断念させてしまった。

“横綱による大関の寄り切り”ともいえる、
この「白川水源汚染防止作戦」は、保健所の仕事としては
当たり前のことだったが、宮古の島人を痛く勇気付け、
広く島全体の環境に関する意識を高めるのに貢献した。

その頃、白川水源とは比べ物にならないほど
広大な「宮古島地下ダム」の水質が、地上のもろもろの汚染物質によって
年とともに悪化し、生活用水として緊急用に使うこともできなくなる
事態となってきていたのである。

白川水源の経験が想起されたのだろう、
宮古島全市町村(現在合併による宮古島市)が立ち上がった。

ダムを管理する国の事務所だけに任せるわけにはいかない。
みんなの命と暮らしの問題と捉え、
「宮古島地下水対策協議会」が結成された。

「宮古島地下ダム」は膨大な地下水が海岸の崖に流れ落ちる前に、
コンクリートの防壁を地下に造り、堰きとめて、
島の地下に巨大な水タンクを造ったようなものである。

宮古島の地下ダム

日本の誇る土木工学の水準の高さには驚かされるのだが、
当然、地上で捨てられるあらゆる可溶性物質が地下に浸透し、ダムに入る。特に大量に使われる農薬・殺虫剤が畑から地下に直行するのだ。

国によって設えられた巨大な施設を、後は地元の人間がどうやって
その機能を支えて活用するかだ。民度の問題である。

「先生、農薬・殺虫剤だけですかねえ、地上から地下に行くのは? 牛ブタはどうですか。人間の便所は大丈夫ですか」。
チョウケイはかねて気にかかっていた疑問点を砂山所長に向けてみた。

「それなんですよ。民家の牛ブタは、
幸い農林水産部や農協の指導もあって、
汚水が流されるようなことはまずないんですがね。
町や村の下水道が未完成なもんだから、垂れ流しが多いし、
家を新築して三槽式浄化槽を設備しても、保健所の認可の後に、
浄化槽の底を金棒でぶち抜いて地下に放流する奴もいるんです」。
「ギョ、ギョ、ギョ」。

宮古の人たちは、しかし、民度が高かった。
地下水対策協議会の名で、定期的な地下水の化学分析が継続され、
保健所の徹底した指導も行われて、垂れ流しは減り、
三槽式浄化槽も壊されることもなくなり、水質は年々改善され、
地下ダムは甦った。

宮古島には、ハブなどの毒蛇は全くいない。
無防備で山野に立ち入っても命を脅かすものが一切ない。
だから、宮古の人々の精神構造は極めて自由闊達。
豪放磊落。剛健進取。天衣無縫。時に無遠慮。

理屈が判り、“これはいい”と納得したら一致団結。
一丸となってアララガマ精神を発揮する。

例えば、かつて、展開されたフィラリア防圧作戦では、
“フィラリアを駆逐したらどうなるか”というメリットを自覚した結果、
部落ごとに団結して真夜中の集団検診(受診率99%)を成功させ、見事、世紀の風土病撲滅の大事業を他地区に先駆けて成し遂げたのである。

同じ心意気で、「宮古島地下水対策協議会」の活動は続いた。
一々衛研の参加を求めることは無理なので、
水質検査を財団法人沖縄県公衆衛生協会に委託し、
地下水の監視を継続した。

肥料由来の窒素成分が目安となったが、
年々水質は改善され、安全で安定した地下水となっている。

琉球列島の島人の気質について、
ハブのいるいないにかけて説明する人がいる。

曰く、「ハブのいない島(宮古、粟国、津堅、久高、・・・他)では
人々は勇ましく、
ハブのいる島(沖縄本島、渡名喜、渡嘉敷、、久米島、八重山、・・・)では、人々は温雅でむしろ引っ込み思案」などと。

それほどはっきりと仕分けはできないとしても、宮古のアララガマ精神に毒蛇ゼロの風土が大きく影響しているといえるのかも知れない。



次のセクション「§26.水納島上陸作戦 」へ




琉球衛研物語
総インデックス
全72セクション・リンク
§1 全国の衛生研究所とその働き
§2 琉球衛生研究所の生い立ち
§3 衛研の庁舎新築
§4 衛研への本土学者の応援
§5 保健婦のためいき
§6 ハブの啼き声
§7 地から湧く日本脳炎
§8 燃える井戸
§9 アルミニューム工場誘致問題
§10 ワシントン条約とサンシン
§11 ホテルに泊まったニシキヘビ
§12 性病Gメン
§13 毒ガス移送問題
§14 米軍PCP汚染事件
§15 沖縄県公衆衛生協会誕生
§16 牛糞をこねる男
§17ゴールデンシャワーとの出会 い
§18 熱帯花木オンパレード
§19 田熱・レプトスピラ症
§20 テイシューが湧く井戸
§21 蚊が死なない
§22 野ネズミが消えた
§23 バガス病
§24 危し宮古島地下水脈
§25 宮古島地下水対策協議会誕生
§26 水納島上陸作戦
§27 ハブとの住み分け大作戦
§28 国場川を埋め尽くす死魚
§29 南大東島水銀事件
§30 ハブの成長曲線
§31 血清銀行
§32 吹きまくる風疹
§33 轟く基地公害
§34 怒る中山貞則長官
§35 MSA対決
§36 毒牙の生え変わり
§37 寄生虫予防協会誕生
§38 多発する赤痢
§39 魚介類のコバルト汚染問題
§40 シガテラによる食中毒
§41 先天性代謝異常検査開始
§42 「青年の家」とハブ
§43 全校生徒眼が痛い!?
§44 ソロモンの星の下で
§45 平敷式血液塗末標本処理器
§46 古戦場ガダルカナルで
§47 塩漬け琉球列島
§48 中華料理店症候群
§49 逃げたハブ
§50 タリュウム中毒事件
§51 タバコとハブ
§52 ひよこの特攻隊
§53 アフリカマイマイ
§54 杜総明先生との再会
§55 沖縄にも肺吸虫
§56. 衛研、大里の新天地へ
§57 新庁舎建設委員会
§58 コレラ菌安謝川を汚す
§59 クワズイモのえぐ
§60 ハブ探索犬
§61 目下フンセンチュウ
§62 アスベスト撤去作戦
§63 JICAの研修生受け入れ
§64 久高島にハブ
§65 ヴェロニカ製ろ過装置
§66 のた打ち回る島々
§67 サミット先生のこと
§68 カンボジア沖縄友好の会誕生
§69 アセアンの森
§70 チョウケイの転戦
§71 寝たきり予防
§72 郷土劇 “ゆいまある”





トップページへ戻る衛研物語について筆者紹介沖縄戦後史年表リンク掲示板お知らせ・更新 mail: chokei@nirai.ne.jp 
Copyright © Yoshida Chokei. All Rights Reserved.

inserted by FC2 system