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吉田朝啓が公衆衛生の最前線「衛生研究所」を舞台に描く、
知られざる戦後・沖縄のリアルな裏面史!


コザのゴヤゲート通り。英語の看板と戦前の製糖工場の煙突の取合せの妙。1956年頃
 吉田朝啓

琉球衛研物語

 Ryukyu Eiken Monogatari 1946〜1993

マーロン・ブランド主演映画「八月十五夜の茶屋」のモデルとなった辻の料亭「松乃下」

赤痢、日本脳炎、基地公害、米軍毒ガス移送から、ハブ、性病、アスベスト問題まで、ドクトル吉田朝啓が第五代所長として勤務した「琉球衛生研究所」は、米軍統治を背景に、戦後の沖縄の混乱と復興の中で、ありとあらゆる問題が発生した。ここには、歴史家や、マスコミが取り上げていない、沖縄戦後史に埋もれた特異な陰の部分が横たわっていて、史料的価値が高いばかりか、現代の日米地位協定に基づく、様々な問題と通底していて、見逃せない。
(編集人、サイト制作&運営 樋口謙一)


琉球衛研物語 §13.
毒ガス移送問題


1971年1月、チョウケイが正月明けの酔いを醒まそうと、
所長室の窓を大きく開いて深呼吸をしていると、
ドヤドヤと階段を上がって物々しく数人の人たちが入ってきた。

琉球政府知念朝功副主席とお付きの職員数名である。
ど肝を抜かれて突っ立ったままでいるチョウケイには構わずに、
副主席は自ら所長室の上座のソファーに腰を下ろして「ここに座れ」と、
チョウケイに傍らの席を指さした。

この方は、沖縄ではエリート中のエリート。
首里の沖縄師範学校付属小学校、沖縄県立第一中学校、
第一高等学校、東京大学と、
一直線に駆け上った昇竜のような秀才で快男児でいらっしゃる。

“付属”と“一中”の後輩でもあるチョウケイを
ストレートにチョウケイ呼ばわりして下さる有難い大先輩でもある。

「一体なにごとですか。連絡もなさらずに」
「済まん、例の毒ガスの件だがね。
いよいよ米軍も運び出すことにしたようだが、
わが方の態勢も検討しなければならない」

「人命にも関わることなので、
保健所や衛研の役割も考えに入れて置こうと思ってね」。

 毒ガス撤去抗議デモ

1969年7月、米国の新聞ウオールストリートジャーナルが
「沖縄市在の米軍知花弾薬貯蔵地域内で
致死性の高い毒ガスが漏れて、要員24人が病院に収容された」
と報道して以来、
沖縄全体がパニックの状態に陥って、現在2年余りが経過した。

当初、致死性の高いVX神経ガスではないかと疑われたが、
毒ガス貯蔵に抗議して県内学生たちが米国民生府に乱入したり、
5大学学長らが<撤去要求アピール>を出し、
即時撤去を求める県民大会、各市町村議会、
琉球立法院での立て続けの決議など、
島ぐるみの撤去要求運動の前に、
ついに米国防総省も内情を打ち明けるに至った。

「沖縄に貯蔵されている毒ガスはサリン(GB)であること。
他の種の化学物質をも含めて総量1万3千トン余り。
しかも、米本国以外に配備されているのは沖縄だけ」という内容に
県内に憤怒の嵐が吹き荒れた。

微量で人の呼吸器をビランさせて、
体を麻痺させる極め付きの毒物である。
こんな禍々しい悪魔の物質。
もし、管理上のミスで漏れる事故が起こらなかったら、
住民地域から僅か1〜2kmの丘に隠し続けるつもりだったのだろうか。

“核抜き本土並み”の条件で沖縄の返還を実現させると公言した
あの佐藤総理の声明の内容はこれだったのか。

沖縄の人間は、もともと性格が温雅である。
大抵の事には穏便で「シミルスルヌーガ(まあいいではないか)」と、
済ます鷹揚さがあり、時にはそれが大雑把になり、だらしなさに陥る。

しかし、時としてこれが急変して
「ヌーヤルバーガ(なんということか!どうしてくれるんだ!)」と
憤激をあらわにする。
憤怒の嵐が吹き荒れると沖縄の民衆は怖い。
米兵の交通事故処理でMPが不当な取り扱いをした
ということから勃発した“コザ暴動”も、
止むにやまれぬ民衆の鬱屈した反米思想の爆発であった。

「私たち保健所や衛研は公衆衛生のための調査研究と
行政サービスを任務として担当しますが、毒ガスは手に負えません。
これは衛生とは筋違いの人殺しの物。
公衆衛生とは畑違いの軍事の問題、政治の問題、
強いていえば消防など災害対策の問題です」。

チョウケイ所長が背を伸ばして、少し息巻いて言上申し上げると、
知念先輩、しばらく顎に手をあてて考える風情であったが、
「うん、よし分かった。いやなに、ちょっと息抜きに来ただけだよ。
お邪魔したな」。
副主席は、しばらく四方山話をして、出て行った。
笑顔の蔭にウチナアンチュの憤怒を僅かに滲ませたような凛々しい表情が伺えてチョウケイには頼もしいものに思えるのだった。

撤去作業は、米軍主導で、前後三回にわたって実施され、
衛研職員も一般職員と同等に運搬車両の通過する沿道に配列され、
トレーラーの行列を見守った。

トレーラーには毒漏れの指標動物としての白いヤギが
一頭ずつ乗せられていた。それを見て、職員の誰かがつぶやいた。
「俺たちも指標動物として並ばされたのかな」。



米軍毒ガス移送作業




次のセクション「§14. 米軍PCP汚染事件」へ




琉球衛研物語
総インデックス
全72セクション・リンク
§1 全国の衛生研究所とその働き
§2 琉球衛生研究所の生い立ち
§3 衛研の庁舎新築
§4 衛研への本土学者の応援
§5 保健婦のためいき
§6 ハブの啼き声
§7 地から湧く日本脳炎
§8 燃える井戸
§9 アルミニューム工場誘致問題
§10 ワシントン条約とサンシン
§11 ホテルに泊まったニシキヘビ
§12 性病Gメン
§13 毒ガス移送問題
§14 米軍PCP汚染事件
§15 沖縄県公衆衛生協会誕生
§16 牛糞をこねる男
§17ゴールデンシャワーとの出会 い
§18 熱帯花木オンパレード
§19 田熱・レプトスピラ症
§20 テイシューが湧く井戸
§21 蚊が死なない
§22 野ネズミが消えた
§23 バガス病
§24 危し宮古島地下水脈
§25 宮古島地下水対策協議会誕生
§26 水納島上陸作戦
§27 ハブとの住み分け大作戦
§28 国場川を埋め尽くす死魚
§29 南大東島水銀事件
§30 ハブの成長曲線
§31 血清銀行
§32 吹きまくる風疹
§33 轟く基地公害
§34 怒る中山貞則長官
§35 MSA対決
§36 毒牙の生え変わり
§37 寄生虫予防協会誕生
§38 多発する赤痢
§39 魚介類のコバルト汚染問題
§40 シガテラによる食中毒
§41 先天性代謝異常検査開始
§42 「青年の家」とハブ
§43 全校生徒眼が痛い!?
§44 ソロモンの星の下で
§45 平敷式血液塗末標本処理器
§46 古戦場ガダルカナルで
§47 塩漬け琉球列島
§48 中華料理店症候群
§49 逃げたハブ
§50 タリュウム中毒事件
§51 タバコとハブ
§52 ひよこの特攻隊
§53 アフリカマイマイ
§54 杜総明先生との再会
§55 沖縄にも肺吸虫
§56. 衛研、大里の新天地へ
§57 新庁舎建設委員会
§58 コレラ菌安謝川を汚す
§59 クワズイモのえぐ
§60 ハブ探索犬
§61 目下フンセンチュウ
§62 アスベスト撤去作戦
§63 JICAの研修生受け入れ
§64 久高島にハブ
§65 ヴェロニカ製ろ過装置
§66 のた打ち回る島々
§67 サミット先生のこと
§68 カンボジア沖縄友好の会誕生
§69 アセアンの森
§70 チョウケイの転戦
§71 寝たきり予防
§72 郷土劇 “ゆいまある”





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