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吉田朝啓が公衆衛生の最前線「衛生研究所」を舞台に描く、
知られざる戦後・沖縄のリアルな裏面史!


コザのゴヤゲート通り。英語の看板と戦前の製糖工場の煙突の取合せの妙。1956年頃
 吉田朝啓

琉球衛研物語

 Ryukyu Eiken Monogatari 1946〜1993

マーロン・ブランド主演映画「八月十五夜の茶屋」のモデルとなった辻の料亭「松乃下」

赤痢、日本脳炎、基地公害、米軍毒ガス移送から、ハブ、性病、アスベスト問題まで、ドクトル吉田朝啓が第五代所長として勤務した「琉球衛生研究所」は、米軍統治を背景に、戦後の沖縄の混乱と復興の中で、ありとあらゆる問題が発生した。ここには、歴史家や、マスコミが取り上げていない、沖縄戦後史に埋もれた特異な陰の部分が横たわっていて、史料的価値が高いばかりか、現代の日米地位協定に基づく、様々な問題と通底していて、見逃せない。
(編集人、サイト制作&運営 樋口謙一)


琉球衛研物語 §12.
性病Gメン


1960年代後半のことだが、
復帰を前にして、まだまだ県内の五つの保健所は忙しかった。

結核や消化器伝染病、腸内寄生虫病、そして淋病・梅毒などの
性病の検査や治療にフル回転していたのである。

その頃、保健所に詰め掛ける老若男女の結核患者を
次から次へと診断し、治療し、
生活指導する日本政府派遣専門医師が常時3〜4名はいた。

日本でもトップクラスの結核専門医がいつも身近にいるという好機に、
保健所の地元医師はぴったりくっついて懸命になって学んだ。

大学も研修病院もない沖縄では、
ベテラン医師から直接吸収する以外に
医術を向上させる方法は無かったのである。

だが、保健所の建物はお粗末だった。
そもそも五つの保健所すべてが
米軍側のデザインで建てられた同じ格好のコンクリートの平屋で、
暗い廊下を挟んでハーモニカのように細切れに並んだ部屋に、
総務課、予防課、看護課、衛生課など詰め込まれていて、
空調設備は無く、
天井のプロペラがゆっくり回転しているのはましなほうで、
汗牛充棟さながら、夏は格段に暑い。

そのような保健所から隣の衛研へと配置転換されたチョウケイは、
修羅場から脱出した思いで、やれやれとしばらくはホッとしたが、
保健所の患者が増えると、時々平田所長から応援を頼まれることがある。

今日も今日とて、廊下の奥の「性病室」で次々と患者を“捌いて”いた。
「性病室」は外の部署に比べて殊の外狭い。
まるで潜水艦のようで、患者も職員も擦り抜けるように出入りする。
列をなして待っている患者の直ぐ傍で問診するから、
プライバシイは筒抜けである。

「先生、私の喉を診て下さい」、
「喉はさっき診たよ」、「ずっと奥の方ですよ」、
「うん、懐中電灯で、詳しく診たがなんともないよ、どうしたの?」、
「うちの旦那が・・・」、「旦那が?」、
「保健所で梅毒だといわれたんです」、
「そんなら、夫婦揃って血液検査を受けて」、「受けました」、
「それで!?」、
「結果はまだですが、うちのがいつもオーラルをやるもんですから」、
「オー・・・」。

チョウケイ先生は、ここで大いに面食らった。
大学の講義でも、その後の臨床経験でも、
梅毒の感染経路や症状など定型例は
医者の常識として知っているつもりだが、
オーラルとかシックスティナインとかいう俗語は
ぼちぼち先輩から習い始めたばかりである。

「とにかく、いま口の中はなんでもないから、
検査の結果を見てから、治療の相談をしようね」。

“人の暮らしの裏表を十分参酌しないと医者は務まらないなあ”などと、
次の患者のカルテを見ながら考えていると、
今度は雲をつくような大男がノッソリ入ってきた。

米人である。20歳ぐらいの沖縄人娘を前に押し出して
「このガールを急いで診てくれ」という。
「急いでといわれても、受付を済ませて、ちゃんと順番を待たんと」
「ノー、これはスペシャルなケースで、アージャアントなんだ」。

チョウケイ先生、ここでムカッときた。
ここは、貧弱とはいえ、保健所という公的機関の診察室だ。
そこへ順番のルールを破ってずかずかと入ってきて何がスペシャルだ。

英語には自信がある。
つい先ごろ礼儀を重んじるイギリスでの留学から帰ってきたばかりだ。

「君は何者で、この娘との関係は?
してしてなにがアージャント(緊急)なんだ」と、
教科書通りのキングスイングリッシュで問いただすと、
太っちょの米人、少々出鼻をくじかれたか、
少し丁寧になり、ポケットからなにやら手帳らしきものを取り出し、
「自分は、米軍所属の性病Gメン(VD−tracer)であること、
この娘から淋病を移されたというGI(Government Issue;米兵)の告発により
検査のために連行して来た」という。


Aサインバー。天井近くに、「A」の許可書が掲出されている

すると、目の前の娘が
「先生、お願いします、早く証明書もらわないと、
うちの店の“Aサイン”が外されるんです」と、すり寄ってきた。

そういえば、北谷・嘉手納・コザの界隈には、
米軍人軍属の本能の捌け口としてのバーやキャバレーが繁盛していて、
性病が蔓延している。

軍人と地域住民とのいざこざが起こると、
その地域一帯を立ち入り禁止(Off limits)にしたりできるが、
性病の一人や二人でオフリミッツにすると、
兵士たちの鬱屈が基地内で爆発しかねないとみて、
米軍政府は徹底的な感染源対策を採った。

快楽の相手となったとされるバーの従業員女性を強制的に連行する
“手作りの権限”を行使した。
そして、食品衛生や結核・性病対策を含めて、
米兵を受け入れるのに十分な衛生水準にあると認められるバーなどに
大きく「A」マークとその下に小さく“Approved for US Forces”と書かれた
看板を掲げさせたのである。

コザ保健所の場合は、住民の健康保持のための活動よりも、
米軍のAサイン認定のための作業が多忙な時期があった。
住民の人権無視の上に成り立っていた屈辱の軍政府時代は長かった。

1970年、大阪では万国博覧会が開催され、
日本全国お祭り騒ぎで浮かれている最中だったが、
沖縄では米軍MPの差別的な交通取締りに激怒した民衆が、
いわゆる“コザ暴動”を引き起こした年である。

その10年前に安保条約が改定され、
その前年には日米共同声明が発表され、
東京オリンピック開催で国威も大いに発揚されて、
念願の祖国復帰が決まったというのに、
目の前にいる米国軍政府とその軍人・軍属の横暴ぶりは、
十年一日のように変わらない。

基地の重圧はひしひしと過密住宅地にのしかかり、
頻発する米兵の犯罪者を逮捕する権限も沖縄側になく、
容疑者はいつの間にか本国へ送還されて
“逃げ放題”という屈辱の日々が続いていた。





次のセクション「§13.毒ガス移送問題」へ




琉球衛研物語
総インデックス
全72セクション・リンク
§1 全国の衛生研究所とその働き
§2 琉球衛生研究所の生い立ち
§3 衛研の庁舎新築
§4 衛研への本土学者の応援
§5 保健婦のためいき
§6 ハブの啼き声
§7 地から湧く日本脳炎
§8 燃える井戸
§9 アルミニューム工場誘致問題
§10 ワシントン条約とサンシン
§11 ホテルに泊まったニシキヘビ
§12 性病Gメン
§13 毒ガス移送問題
§14 米軍PCP汚染事件
§15 沖縄県公衆衛生協会誕生
§16 牛糞をこねる男
§17ゴールデンシャワーとの出会 い
§18 熱帯花木オンパレード
§19 田熱・レプトスピラ症
§20 テイシューが湧く井戸
§21 蚊が死なない
§22 野ネズミが消えた
§23 バガス病
§24 危し宮古島地下水脈
§25 宮古島地下水対策協議会誕生
§26 水納島上陸作戦
§27 ハブとの住み分け大作戦
§28 国場川を埋め尽くす死魚
§29 南大東島水銀事件
§30 ハブの成長曲線
§31 血清銀行
§32 吹きまくる風疹
§33 轟く基地公害
§34 怒る中山貞則長官
§35 MSA対決
§36 毒牙の生え変わり
§37 寄生虫予防協会誕生
§38 多発する赤痢
§39 魚介類のコバルト汚染問題
§40 シガテラによる食中毒
§41 先天性代謝異常検査開始
§42 「青年の家」とハブ
§43 全校生徒眼が痛い!?
§44 ソロモンの星の下で
§45 平敷式血液塗末標本処理器
§46 古戦場ガダルカナルで
§47 塩漬け琉球列島
§48 中華料理店症候群
§49 逃げたハブ
§50 タリュウム中毒事件
§51 タバコとハブ
§52 ひよこの特攻隊
§53 アフリカマイマイ
§54 杜総明先生との再会
§55 沖縄にも肺吸虫
§56. 衛研、大里の新天地へ
§57 新庁舎建設委員会
§58 コレラ菌安謝川を汚す
§59 クワズイモのえぐ
§60 ハブ探索犬
§61 目下フンセンチュウ
§62 アスベスト撤去作戦
§63 JICAの研修生受け入れ
§64 久高島にハブ
§65 ヴェロニカ製ろ過装置
§66 のた打ち回る島々
§67 サミット先生のこと
§68 カンボジア沖縄友好の会誕生
§69 アセアンの森
§70 チョウケイの転戦
§71 寝たきり予防
§72 郷土劇 “ゆいまある”





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